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2023/01/03

2022−23年末年始

気がつけば2022年は一回も更新しなかった。

2022年は年がら年じゅう仕事に追い回され、ちょっと落ち着いてきた年末にはコロナにやられ、そのあとは後遺症に悩まされ、なかなか停滞感のある一年だった。2023年はもっと前に進んでいる感じのある一年にしたいものである。

2020/12/31

2020年の個人的備忘録

 2020年が終わる。今年は個人的なイベントと転居から始まったが、そのころはまさかこんな年になるとはまるで想像しなかった。3月頃までは岡山出張などもこなしていて、この感染症はいよいよヤバそうという印象は既にもっていたが、ここまでの生活環境の激変をどれだけ想像できていたか、今となっては思い出せない。

自分の場合わりとよくアンテナを立てていたのと、かなり好奇心をくすぐられるというか、極めて学際的なテーマで調べたくなる要素があったこともあり色々読んだりしていた。だから結構ことのインパクトはそれなりに予想できていた気がする。ただしこの感染症のインパクトの大小と、生活環境への影響の大小はかならずしもそのままリンクしない。というのも生活環境がどれだけ変わるかは、職場や学校といった自分が所属する組織がどれだけこの感染症に対応するかによるからである。もっというと自分の住んでいる国によってインパクトが変わってくる。

自分の場合日本に住んでいて、7月ころや秋ごろなんかは(みんなマスクしてたりする点以外は)割と普通の日常を送れていたわけだが(実際そのころには河口湖とか箱根とかにちょっとした国内旅行したりした)、これが欧米なんかであれば文字通り激変なのだろうと思う。

また自分の場合、2012年の留学以降はずっと年1回は海外に出る機会があったから、それが久々になかった珍しい年になった。唯一趣味らしい趣味だけに、旅が恋しい。

良かったのは、まず東東京に転居してアウェーに身をおけたこと。上野や北千住、西日暮里といった界隈は自分にとってとても新鮮でなかなか面白かった。やはり知らない街に住むのは良いものだ。また一時期は日経のオフィスパスを使ってあちこちのコワーキングで仕事した。六本木・渋谷・秋葉原・松戸など。コワーキングはオフィスという目的地があるから特定の街を訪れるきっかけになる。文字通りノマド化した感じ。これでコロナがなければもっと散策できて楽しかったのだろうと思うがこればかりはしょうがない。

もう一つ良かったのはやはりかなり徹底的に体調を見直すきっかけができたこと。これは昨年の鍼灸から着手しはじめたことではあるけども、春夏にかなり時間があったことでかなり徹底的に文献を調べて、自分のベンゾ離脱症に対するアプローチを研究することができた。

色々試してみる中で現在は、

・脳内のGABAを増やせそうなサプリ(ビタミンB6・ナイアシンなど)
・プロバイオティクス+オリゴ糖
・火を使わないお灸で首・肩をケアする
・ゴムチューブによる背筋・頸椎周りの筋肉の強化
・漢方
・各種のイビキ防止
・基本的な栄養・消化への配慮

といった方法論に行きついているが、今はこの数年では一番体調が良い。ベンゾ離脱症になってから一番かもしれない。まだ試していないメソッドがいくつかあるので、2021年はさらにいくつかバリデーションしながら体調改善を図りたいと思う。

思えば2018年の激務で2019年は最高に体調が悪かったわけだけど、それと比べると今は大変良いように思う。当たり前だが今年起きたような大きな外圧は色々なことを変える契機になる。その意味で自分にはやはり良い面もあった。一方で日本社会の変化の予想以上の緩慢さにはがっかりすることもあるが、これはもう今のこの国ではどうしようもないことなのかもしれない。

一方で2020年は個人的に進めていたプロジェクトの進捗がイマイチだった。幸いウチの会社は今後も在宅推奨になりそうなので、今後もう少し時間を上手に確保して進捗を早めていきたいところ。

2020/10/09

横浜トリエンナーレ2020

トリエンナーレ2020に行きました。


私はたまたま誘われていった2001年の第1回から全部行っているのですが、ちょっと気になってHPにのっていた過去の会場や入場者数を調べてみました。

2001 主会場:パシフィコ横浜展示ホール、横浜赤レンガ倉庫1号館
参加作家数:109作家
作品数:113件
総事業費:約7億円
総入場者数(有料会場入場者数):約35万人(約35万人)

2005 主会場:山下ふ頭3・4号上屋
参加作家数:86作家
作品数:84件
総事業費:約9億円
総入場者数(有料会場入場者数):約19万人(約16万人)

2008 主会場:新港ピア(新港ふ頭展示施設)、
日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)、
横浜赤レンガ倉庫1号館、三渓園、他無料3会場
参加作家数:72作家
作品数:66件
総事業費:約9億円
総入場者数(有料会場入場者数):約55万人(約31万人)

2011 主会場:横浜美術館、日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)
参加作家数:77組(79作家)/1コレクション
作品数:337件
総事業費:約9億円
総入場者数(有料会場入場者数):約33万人(約30万人)

2014 主会場:横浜美術館、新港ピア(新港ふ頭展示施設)
参加作家数:65組(79作家)
作品数:444件
総事業費:約9億円
総入場者数(有料会場入場者数):約21万人(約21万人)

2017 主会場:横浜美術館、横浜赤レンガ倉庫1号館、横浜市開港記念会館 地下
参加作家数:38組、1プロジェクト
総事業費:約9億円
総入場者数(有料会場入場者数):約26万人(約26万人)

2005以降、総事業費が一貫して9億円。場所の問題なのか、総入場者が一番少ないのが2005で、一番多いのが2008。近年は20~30万人のくらいの推移。総作家数は減少傾向です。

未だに一番印象深いのが2001で、この時は本格的な現代アートの展示会に行ったのが初めてで、その時は自覚していなかったものの結構衝撃を受けて帰ったようです。それ以来横浜トリエンナーレは毎回行ってますし、海外の現代アートの美術館も色々行きました。

2005はだだっぴろい会場に大規模な作品が多数で、じっくり楽しむ趣には欠けるが文化祭的な面白さは一番だったかも。

2008はトリエンナーレならではの文化祭的な雰囲気と、現代アートならではの価値観がゆさぶられるような感じが両方あって今思い返すと一番よかった。夜になって会場内カフェで休んでいたらアートクラスターな方々が熱心に語っていてなんか刺激を受けましたね。

2011からは運営が国際交流基金から横浜市に変わったとかで、横浜美術館が主会場。特にBankArtの方に印象に残るインスタレーションが多かったように思います。この回もなかなか良かったですね。

2014はふたたび新港ピアを第二会場。会場面積は一番かも。新港ピアはとりこわされて今はハンマーヘッドになってしまいましたが、ここは単純に広いコンベンション会場みたいな感じで、作品にあわせて会場レイアウトできる感じで良かったですね。

2017はひさびさに赤レンガを第二会場に使っていて、そちらはかなり良かった。2014・2017は東日本大震災からの影響を感じさせる作品が印象的。

それで2020はどうだったかというと、正直今までで一番盛り上がりに欠ける印象でした。なんか横浜美術館自体、会場に方に自由度がなくて作品が会場の枠に抑え込まれているような印象。初期のトリエンナーレにあった文化祭的な面白さに欠けるように感じました。第二会場のProt48の方が面白かったですね。エビの作品が印象的だった。

主会場を見れていない2001を除いて自分的に良かった順で並べると

1位 2008 
2位 2011
3位 2005 
4位 2014=2017 
6位 2020

という感じ。

2020/09/20

日本の夏 コロナの夏

 4月の緊急事態宣言からの5月までの自粛、6月の小康期間を経て7月にまた再拡大。


それで8月どうなるかと思いきやなぜか感染数が減少トレンドに転じた。8月のあいだ、結構都心に出たり近くの繁華街をウロウロしていたりしたのだが思ったより商店も飲食店も普通にオープンしていて、某餃子の●将みたいな庶民向けのお店なんかめちゃくちゃ密になってしまっているのを見かけた。ここのところまた増加の兆しが出ているという報道もあることを考えると、結局日本(とうか東京)の場合通勤電車というのが非常に大きな感染経路であって、8月にみな夏休みをとっていたから感染が減ったのではないかと思わざるをえない。


飲食店の意外な繁盛ぶりを見るにつけ、実は電車通勤者を減らし、あとはマスクとクラスター対策だけ徹底していればそこそこ経済を回すこともできるんじゃないかという気がしてくる。ニュージーランドや中国本土のような徹底的な封じ込め戦略がとれるのであればそれが一番経済には良さそうなんだけど、日本の場合個人情報保護法や、権力への懐疑的な世論もあるのでどうも難しそう。


ところで商店・飲食店の感染対策への対応は非常にきれいに二分されてしまっていて、
感染対策をしっかりしているお店(検温・ソシャディ・消毒あり)と、
なんもしてない、本当に野放しのお店。

前者はたとえばユニクロのような感染対策に耐えうる大企業と、感染対策をすること自体が集客上のアピールになるような、ちょっと民度というか、感染対策意識の高い層向けの飲食店がメインだし、

後者はたとえば個人経営の大衆居酒屋で、お金のない学生とか近所のおっさんとかが「感染とか怖がってられるかよ」とか言いながら飲んでるイメージの店とかで、あるいはカフェとかの低単価業態で席を間引くとどうしても赤になるようなお店。都内のスタバとか本当に普通に混んでいる。


気の毒なのは客単価・客層的には後者(大衆向け)なんだけど頑張って対策しているお店。対象顧客がそもそもあまり気にしてないから、感染対策が集客上のアピールポイントにならない。たぶんいろんな店がそのことに感覚的に気づいてて、つまり感染対策なんかせずに野放し路線全振りで経営しちゃったほうが(うっかり自分の店でクラスターが出て営業停止に追い込まれるとかのもろもろリスク差し引いても)多分良いという結論に至っていて、それが最近都内で見かけるやたら密度の高い飲食店の光景なんだろうと思う。


さて今年は全然海外旅行にいかなかった。出張もなかった。

思い起こすと留学だ出張だ旅行だっていうことで過去数年結構あちこち言っていて、9か国10地域のべ27海外渡航している。

2012年 イギリス
2013年 イギリス・チェコ・オーストリア・フランス
2014年 イギリス・ベルギー・香港・中国
2015年 アメリカ・カナダ・香港・中国
2016年 オランダ・香港
2017年 オランダ・ベルギー・中国・香港
2018年 イギリス・ドイツ・香港・台湾
2019年 イギリス・オランダ・中国・タイ

2020年はそんなわけで9年ぶりに一切日本から出なかった年になりそう。自分自身、海外の空気を吸う事でとてもインスピレーションを得られてきたと思っているので残念。

2019/09/08

文章を書くということ

これとは別に最近別の媒体を使ってとにかく長い文章を書きまくっている。

改めて思うが自分は結構文章を書くのが好きである。もっというとツイッターみたいな短文より、一つのスペースでまとまった長い文章を書くのが好きだ。

自分の場合たいしてロジカルでもないくせに自分の書いた文章の論理的・構造的な整合性がやたら気になるタチで、ツイッターだとどうもうまくストラクチャーをつくれない。

というか、一度書いた文章を切ったり貼ったりして構成しなおして、、、みたいなことをとにかくやりまくる方なので、一度呟いたら公正・再構成できないのが性に合わない感じがする。

それで今アウトプットのスピードを上げられるように時々音声入力でアウトプットするのだが、これもやはりストラクチャーが気になってつっかえてしまう。

ひょっとしたら先にストラクチャーを箇条書きのメモかなんかで作っておいて、それにそって喋るようにすれば音声入力でもぼちぼち書けるのかも。今度試してみようと思う。


とにもかくにも文章を書くとというのはエネルギーをつかうけど楽しい。

2019/01/01

2019年

今年でこのブログを書かきはじめてなんだかんだで10年になります。何か目標があってやっているわけではなく単に考えたことを書き溜めたりちょっとした出来事を綴ったりしているだけの場所なので、10年続けたから何かを達成したということもないですが、時々過去の駄文を読んでみると改めての発見があったりもします。

年末は会社の忘年会以外忘年会がありませんでした。また毎年恒例で遊びきにきているばーちゃんが足の手術の関係で来ませんでした。

この10年くらいは、

  1. 大学時代の友人の忘年会
  2. インカレ団体の忘年会
  3. 最初の会社の仲良かったチームでの忘年会
  4. 会社同期の忘年会か新年会
  5. 高校の友人の忘年会

のうち、必ず1・2を含む合計3〜4回くらいは忘年会があって、年末年始のどこかで実家でばーちゃんと弟と麻雀して、みたいな年末年始を過ごしてました。2の関連で増上寺の年越しイベントに2年位連続で参加したこともあったなぁ。

ですがこの2〜3年で友人達は家族を持ってしまって忘年会どころではなく、弟は結婚し、今年に至ってはばーちゃんは足が痛いということで結局マンションの大掃除をして21時位に実家に帰って蕎麦食って寝るという、まあ盛り上がりのない年末年始を過ごしました。

若かりしころの喧騒が懐かしいというものありますが、それ以上に毎年顔ぶれの決まった友人達と会って年末にその一年を振り返る、それでもって実家で麻雀してミカンを食べる、みたいなある種のルーチンでもって一年のサイクルを切り替えていたようなところがあるので、なんだか物足りない感じがしてしまいます。

私も今年には家庭を持つ予定なので、きっとこれからは次の10年のルーチンを作っていくべきステージなんでしょう。少し寂しかれど、大人にならないとね。



2018/09/13

リアム・ギャラガーライブ


以前にも書いたが私にとってリアムギャラガーは永遠のヒーローである。

1でオアシスのファンになって以来、私にとってのロックの何たるかイコールリアムであり、社会の理不尽に行く手を阻まれるたびそれに立ち向かうエネルギーをくれる存在であった。

ただアルバムが次第にパワーダウンするようになるにつれ一時熱が下がってしまい、いずれライブいかねばと思いつつも時は過ぎ、ある時オアシスは解散してしまった。

なんだかんだいっていつかオアシスのライブ(しかもできればUK)に行き大合唱するのはちょっとした夢だっただけに、その機会が失われてしまったことに私は落胆した。

ビーディアイも聴いていたが、アルバムは悪くないもののYouTubeで見る限りでリアムのパフォーマンス、というか要は声が酷過ぎて、むしろオアシスは過去になったのだという思いを強くしたものである。

そのビーディアイも解散してリアムはソロになった。当然私はSpotifyでソロデビュー作を聴いてみた。オアシス全盛期の作品とは比べられないが、評判が良かっただけあって悪くない。

そして何より、YouTubeから流れてくるボーカルが格段に良くなっている。そんなこんなで、自分の中のオアシス/リアム熱が再燃してきたところでアダムエロペからオアシスTシャツが発売。当然買った。本当はサマソニの来日も行きたかったが日程合わず断念。

そして今日。私は武道館にてはじめてマイスーパーヒーローをお目にかかる機会を得たのである。


ライブは最高だった。20年越しの念願が成就したかんじ。

2013/12/31

超個人的備忘録としての、2013年の振り返り。


前半。
年明けて、1月の下旬に両親がロンドンに遊びに来た。2月に第3学期の試験があって、3~5月で卒論終わらせた。3月末に弟が遊びに来て、一緒にスウェーデンに旅行にいった。並行してイギリスの求人に応募するも、VISAが壁になって全くダメ。夏に帰国。

後半。
帰国してしばらくは異常に体調不良で、ほとんど何もしなかった。秋になって本格的に応募しはじめて、11月に内定を頂いた。11月頭にH高の結婚式で沖縄に行った。ロンドンに卒業証書取りにいくがてら遊びにいって(ついでにチェコとオーストリアに寄った)、12月中旬から勤務開始。

良かったこと
・就職が決まった
・終盤になって睡眠薬の離脱症状が前よりは大分安定した
・定期的にジムにいって運動(主に水泳)するようになった

反省
・ゲームしすぎ


結構長いこと停滞していて、ようやく次のステップにいけた2013年でした。

というか思い起こしてみると、キャリア的な観点から言えば、色々な意味で転機となった2009年からずっと停滞していたようなもんでした(所詮留学というのはジャンプするための予備動作に過ぎないと言える)。2010年あたりの閉塞感は凄かった。

気分的にも、ようやく助走距離が十分とれたという感じなので、来年は飛躍の1年にしたいです。


あと音楽をたくさん聞き映画を結構見た年でした。


ストロークスは今年最大の私的ヒット 
もう10年以上前のアルバムだけど


おわり。



2013/12/22

転職先が決まった話

近況整理。

ちょっと前の話になりますが、10月下旬~11月上旬にかけて3社から採用内定を頂き、そのうちの1社である米系素材メーカーに入社することにしました。気持ちを決めた背景としては以下のような感じ。

①キャリア上の広がりがある
私の場合、採用関連(特に中途採用)に特化したキャリアをこれまで送ってきたのですが(他には一応営業)、これを少し広げたいという思いがありました。これは単純に中長期的に採用以外もやりたいう思いがあることと、採用特化のHRって不況時にRedundancyの対象になりやすいのでもう少しディフェンシブなキャリアに振っていきたいというのと、両方で。

この観点で見た場合、転職先のポジションは事業部人事と採用が特殊事情により同部署で、早々に両面に携わることが期待されていたので非常に良かった。

②労働条件
前職・前々職とそれなりにハードに働き、多少なりとも体を壊したりしたのを経て、できれば次は人間的な労働環境で働きたかった。仕事外でしたい勉強もあるし。


③社風や人間関係/雰囲気
やはり前職での職場の雰囲気が劣悪で、もうそういう職場は懲り懲りなので。特に人事のような内勤職の場合、これは非常に重要だなと。ただ入社するまで一番分かりづらい部分でもあります。最終的には直観を信じるしかないのですが、転職先は会った人がすべからく好印象で、恐らく大丈夫だろうと。

④消費財に接点がある
素材メーカーなのですが、最終消費財と接点があって、一部プロダクトの一般認知度がそこそこある点。外資の場合はそこまででないにしても、依然として日本の転職マーケットは経験した会社の知名度・格にこだわる面があるので、この点はプラス。

そんなこんなで、一番私の判断軸を総合的に満たしているだろう(特に①②)ということで決めました。今景気がいいので(誰でも知ってるような大手のポジションも結構あった)、もう少し粘れば別のチャンスもあったかもなーと思いつつ、でも総合的に判断するとその可能性もあまり高くなかろうという気がしたので、満足しています。あまりブランクあけたくないし。

恐らく近日中に実際働いてみての感想を書くことになるかと思います。







2013/09/12

秋です

(久々の更新。私の場合下書きは常時数本書き溜めてあるのですが推敲してから公開しようと思っているうちに下書きの存在を忘れたり、気にいらなくなって消したりということがままあります)

7月に帰国して2か月半近く経ちますが、ゆっくりゆっくりと職探しをしております。記憶が新しいうちに留学の最後のほうの記録と、留学生活の全体的な総括を書きたいです(なんか年々記憶力があいまいになっていっているような気がする)。

Recruiterをやっている友人(たくさんいる)の話を聞く限りここ数年の間に登場した新しいリクルーティングスキームがかなり浸透したようで、特に香港で人材紹介をやっている友人いわく「Likedin抜きじゃ今の採用は考えられない」とか。採用手法/職探しの手法も国や地域ごとに特色があるのですが、SNSを含むオンラインプロフィールを活用したやり方は今や世界的なトレンドといってもいいと思います(私はやっていませんが)。


↓最近のマイブーム、スペイン人シンガーのRussian Redさんです。
スペインに行きたいぜ。

2013/04/30

あと二日

あとロンドン生活も二日です。
チケットを何度も眺めつつ、残り二日をどう過ごすか考え中。

30歳無職の身としてはちょっとでも就活した方がいいんですけどねー。

2013/02/05

満1年

睡魔と闘いながら全試験日程が終了しました。あとは卒論をどうにかせねばならぬ。

気が付けば日本を発ってちょうど1年。成せたことより成せなかったことの方が多いですが、所詮はなるようにしかならんですし。

2012/12/17

今のフラットの話

我が住居のエキサイティングな話。
---
■住人が皆洗った皿を放置するから台所は大体常に汚い。時々悪臭を放っている。我がフラットには一応、女子も住んでいるが気にする気配もなく。日本の一般的衛生観念で言うとかなり劣悪。

■こないだネズミを初めて見た(!!)。可愛いもんかと思っていたが、思った以上にキモかった。色々観察して分かったが、台所の奥の見えない所、手の届かない所を主な寝床としていて、時々食料を求めて出てくる模様。

■ギリシャ人の友達にネズミのことを話したら「即抹殺しろ、君が見たのは子供ネズミだから親がいるはず。早めに駆除しないとネズミ算で増えるよ」、と言われた。が、住人はやはり気にしていない模様。女の子は、
「日本はネズミいないの?いいね~」
とか言っているし、ルームメイトのスロバキア人は、
「慣れたらペットみたいなもんだよね。さて俺そろそろ寝るよ。枕の下に住んでるネズミに挨拶してくる」
とかいうし。隣部屋のスペイン人は
「俺いつもケリ入れて殺そうとしてるんだけど逃げちゃうんだよね」
とかいうし。それ殺したら遺体どうすんですか。

■ある日部屋で一人でごろごろしていたら、誰もいないはずの部屋で、何かガサゴソと漁る音が聞こえる。みるとルームメイトのコロンビア人が食べた後のKFCのゴミを床に放置していて、それが微妙に振動している。さすがに部屋に入ってくるのは許さんと思って電気をつけたら即逃げた。ゴミは私が捨てました。

■ある日寝てたら男女二人の談笑が聞こえてきて、その声がでかくて目が覚めた。キッチンでしゃべっている模様。時計を見ると朝の4時。我が部屋はキッチンの目の前。うるせーなぁと思いながら寝直していたら会話じゃない何かの音が聞こえてきた。キッチンでなさっている模様。というか、悪臭放つキッチンでネズミと戯れながらのXXXなんてロマンのかけらもないと思うのですがいかがでしょうか。うるせーな死ね死ね死ねと思いながら耳をふさいで寝てたら、何とウチの部屋に入ってきた。スロバキア人の彼でした。お前だったんかい。

2012/12/12

旧ユーゴ旅行7

ザグレブに戻って、学校の課題をやったり鋭気を養ったりという名目で2泊(ザグレブはホステルに恵まれたこともありそういう目的での滞在には最適だった。というか今私が住んでいる家よりよほど快適)。10日前には見事に黄葉していたザグレブの街路樹も素っ裸になっていて季節の流れを感じました。

その後バスで帰りの飛行機の出るトリエステ方面に向かいました。途中、山岳地帯を抜けるのですがまさかの大雪状態で驚愕。が、さらに1時間も進むと再び平地に出て、そこから先は元の晩秋。一瞬冬を先取りしてしまった。

途中でクロアチアの海沿いの街、ロヴィニに2泊。ロヴィニには以下のブログ記事にモロ影響されて行きました。
http://travelhack.jp/2012/10/19/rovinj-croatia/

とても綺麗なところで、行った甲斐はあったもののオフシーズン過ぎて宿がやってなくてつらかった。観光というより、夏に長期滞在型のバケーションを楽しむ場所のようで、YHの類は一切なく、ホテルもごく限られていて、その代り貸しアパートメントが無数にありました。貸しアパートメントは値切って一泊25ユーロ。

外国人観光客ほぼ皆無、街もガラガラでかつ老人ばかり、閑散としていてのどかと言えばのどか、つまらないといえばつまらない、そんな感じでした。私も特に何をするでなく、適当にお茶したり散歩したりレポートを多少進めたりとウダウダ過ごしました。

旅行も2週間になろうというところでトリエステ行にバスに乗車。3時間程であっという間に着。途中、スロベニアを通過しましたが、短すぎて良く分かりませんでした。なおイタリア/スロベニア間はパスポートチェック無し。

トリエステでクラスメイト等への土産を購入して、飛行機にのり、夕方ロンドン着。毎度安定の、愛想最悪な入国審査を経て2週間ぶりのロンドン。特に感慨無し。でもやはり色々勝手がわかっている分安心できます。

2012/12/05

旧ユーゴ旅行6

今回は電車で、15:15発、10時過ぎ着、20ユーロ程。長距離列車はあまり揺れないのでこうしてPCをいじったり本を読んだりできるのでいいです(私はバスで本を読むと気持ちが悪くなる)。バックパッカーも電車派とバス派に分かれますが(あと「チャリダー」と呼ばれる自転車派もある)、私は電車派です。


沢木耕太郎の「深夜特急」に出てきた引用句で、「老いて旅するは賢明ではない」という言葉があります。たしか。
その心は、旅は基本的に困難である。老いもまた困難である。二つ同時に別の困難に相対するのはオススメできない、ということ。

今回、無計画旅行を決行してみてつくづく思うのは、こういうバックパッカー旅行をするのは、恐らく留学を終えるまでにあと1回か2回して、それで最後になるだろうな、ということ。若いころは、無計画さで生じるロスも、ドミトリーの相部屋の中で気を遣いあう事で消耗する気力も、全て体力でカバーできます。

でもその体力にガタがきているというか、どんなに運動したり筋トレしたりしても20代前半までのピークを越えることはできないような気がするのです。方向性が変わってきていて、向上より維持に主眼が移るというか。

同時に、結構、あちこち行ったという一定の満足感を得つつもあります。

大学時代にもう少しいっとけばよかったとは思うものの、東南アジアを3週間、ゼミの研修旅行で中東をひと月+北アフリカを2週間、トルコ1週間、西欧3週間、今回東欧を2週間と旅行して、全部合算すると4週間位。細かいのも含めると多分半年を超えるでしょう。で、後は死ぬまでにちょこちょこともう少しお金をかける普通の旅行をして、全部合計して1年くらいになればいいかなと。

で、最後死ぬ間際に「合計1年以上分、旅行した」と思えば、多分その点についてはそんなに後悔しない気がします。自分的には。

ザグレブ初日、ホステルに変なアルゼンチン人のおっさんが泊まってました。英語は「完全に」話せず、でも全く構わずに誰かれ構わずスペイン語で話しかける。日中はランニングと短パンで過ごし、なぜかウィンストン・チャーチルの伝記を読んでいる(アルゼンチン人ってフォークランド紛争以来イギリス嫌いが多いんじゃないのか?)。夜は人が寝ているにも関わらずスマートフォンのスピーカー爆音でヘヴィ・ロックを流しながら部屋に入ってきてうるさいし。でも、なんとなく人は良さそう。

彼はきっとじじいになってもバックパックのきままな一人旅が似合うんだろうな、とか思いました。

旧ユーゴ旅行5


ネットの使えない宿に滞在していたため書き溜めてしまいました。
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モンテネグロ。

コトルの何が美しいのかということを考えたんですけど。コトルの位置する場所というのは、地中海という内海の、アドリア海という内海の、コトル湾という入り江の、一番奥まったところにある小さな湾に面しています。内海の内海の湾の湾ということで、水面は全然波が立ちません。波が立たないと、山と、その山に寄り添うようにして存在している小さな村々が、そのまま水面に反射しているのです。

コトル滞在2日目、バスの時間まで山の上の砦を目指して山登りしたのですが、文字通りの絶景でした。モンテネグロは「黒い山」を意味するらしいですが、コトル周辺は石灰岩なのか峰は白々としていて、鬱蒼とした感じは受けず、見ていて気持ちが明るくなりました。

旧市街はこじんまりとしていて、直径は歩いて5分の距離なのですが、道が入り組み過ぎていて完全に迷宮でした。2日滞在していても全然道を覚えられず。近くのドゥブロブニクに押されて地味な世界遺産ですが、訪れる価値は大いにあると思います。

15:50コトル発、セルビアの首都ベオグラード行のバスに乗車。モンテネグロの山道をくねくね進み、翌朝5時過ぎ、ベオグラード着。

バスターミナル近くの鉄道駅の広告を見て6時前の早朝にホステルに辿り着きました。そこは2人の夫婦経営の小さなホステルで、2部屋6ベッド。聞けば6月に開いたばかりとのこと。レセプションがあるでもなく、奥さんは寝起き眼でしたが快く部屋に入れてくれました。ありがたや。一泊11ユーロ。


それからしばらく爆睡して昼頃目覚めると、ヘンな訛った感じの英語をしゃべるオッサンの声が聞こえてきました。Skypeで会話している模様。

ホステルの奥の台所で水を飲んでいると、さっきSkypeでしゃべっていたオッサンが来ました。オッサンはマケドニア人の両親を持つアメリカ人とのことでした。

で、胸くそ悪いので大分省略しますが、結論から言うと、そのオッサンと1日半一緒にベオグラードを周り、最後に150ユーロをだましとられました。

そのクソ野郎は「強盗に身ぐるみ剥がされた」と言って2週間前にホステルに転がり込み、部屋賃も払わずに滞在していて、ホステルのオーナー夫妻も2週間分の部屋賃を踏み倒されたとのこと。ホステルの人達もかなり人が良いというかなんというか。

警察も呼びましたが警察は私に対しては「だまし取られた私が悪い」、オーナー夫妻には「家賃を取らずに滞在させてた彼等が悪い」の一点張りで、5分で帰って行きました。あー警察がクソな国の警察ってこうだよな、と思いながらその時点で150ユーロはあきらめました。

で、達観した気持ちで茶を飲み本を読んでいると、オーナーのダンナさんが犬の散歩に誘ってくれました。夜のベオグラードはバルカンの他の都市より活気があり、不思議な魅力がありました。ナイトライフの充実度で名を馳せている街だけあり、あちこちからクラブから漏れる重低音が聞こえてきました。

翌日、クソ野郎のパスポートのコピーを持って米国大使館にも行きましたが、あまり具体的なアクションに動く気配は感じられませんでした。私自身は自分の金はともかく、更なる犯罪を防止しようというささやかな義務感から大使館に行ったのですが、アメリカもこんなもんかとがっかりして帰りました。

今でも覚えているのが、タイに行った時のこと。ノーンカーイというラオス国境沿いの小さな村の小さな屋台で、夕食にラーメンを食べていたところ、地元の女子中学生(高校生?)2人に話しかけられました。彼女達は地元で日本語を勉強しているとのことで、30分位日本語を教えたり、なんだかんだと話したあと、ウチに遊びに来ないかと誘われました。家族ぐるみでもてなしますよと。

私はバンコク・アユタヤと余りに多くの人がぼったくろうとしてくるために完全に疑心暗鬼と化していて、右脳さんは「この子達は安全だ」と言っていたのですが左脳さんの強固な反対に押し切られ、結局「気持ちは有難いが、日本の男子は初対面の女子の家にはいかないものなのだ」とか適当な事を言って帰りました。

でも今思うと、タイの小村の、深いところを覗き込む大きなチャンスを逃したなと思います。リスクはあったかもしれないですが、行っていれば普通の旅行やツアー旅行では得られない体験ができたかもしれないと。同時に、恐らく純粋な親切心からのご厚意を疑った自分が残念になりました。

で、今回起こった事はその逆だったわけです。直観的には―初対面でもそのあとでも―常に「コイツなんか怪しい」に思っていたのです。にも関わらず、頭の中でごちゃごちゃと色々理由をつけて信じることにしたのですが、見事に2万円程を失ってしまい、今は疑いの海に沈んでおります。

だまされたりボッタクリにあったりしないだけの知恵や理性と、ある程度直観に従って人を信じられる純真をバランス良くもてるといいのな、とそんなことを思いながら、現在再びザグレブに向かって移動中。

2012/11/25

旧ユーゴ旅行4

夜明けて、ヘルツェグ・ノヴィ行のバスに飛び乗りました。

距離的に3~4時間で着くと踏んでいましたが、ボスニアの山岳地帯の急峻なることやんごとなく、寝てど暮らせど着きません。結局11時発で日もとっぷり暮れた6時頃に着きました。モンテネグロは安全ということだったのでその点は心配していませんでしたが、宿探しが大変そう。

案の定難航し、疲れてフラフラとカフェに入りました。

「すみませんこの辺に安い宿ないですか」
「宿?ちょっとまってなオーイ(近くのオッサンに話しかける)。ちょっとまってな今彼が調べてくれてるから。キミ何人?」
「日本人です。あ、あとコーヒー一杯」
「遠いな!こんなところに何しに来たんだ?(笑)」
「いや~正直分かりません(笑)」
「良く分からないけど観光ってやつだな? (近くのオッサンに話しかける) うーん。今10人位にメール送ってくれたらしいんだけど、返信ないか、今営業してないって。これぞモンテネグロ人って感じだな。怠け者なんだ (コーヒーコトリ)」

しばし待つ。

「メーン(Man)!そいつについていってみてくれ。すぐそこの教会が5ユーロとかそんなもんでベッドだけ提供してるんだ。ベッドだけね、そんなでいいの?」
「いいですどうもありがとう。あとお会計」

さてワイルドなおっさんについていって教会のベルを鳴らしましたが、誰もいない模様。結局カフェに戻ってきてしまいました。

「メーン!だめだったか。まぁちょっと座ってな。他をあたってやるよ」
「ありがとうございます・・・ (メーン!ってクラスメイトのイタリア人そっくりだな・・)」

モンテネグロは古代ローマやヴェネチア共和国等の支配下にあった時代が長く、距離的にも近くて随所にイタリアの影響を感じます。コーヒーはエスプレッソ。挨拶はチャオ。食事はパスタかピザ。そもそも国名がイタリア語(黒い山の意)。

「メーン!そこのガキどもが知ってる宿に連れて行ってくれるってよ」

そこのガキども、もとい子供たちは12~16歳位の6人組で、皆英語が達者でした。

ガキA「どこから来たん?」
「日本。キミは?」
「XXXだよ。ヘルツェグ・ノヴィじゃない。遊びに来てるんだ。俺の街は何もないし臭いしつまらない。ここもそんなに面白くないけどね」

おぉ、典型的な田舎の若人だ。

ガキB「ガンナム・スタイル知ってる?」
「知ってるけど日本じゃそんなに流行ってないらしいよ(というかアレは韓国だと何度言わせれば・・・)」
「踊れる?」
「こうだろ・・・」 →爆笑

ガキC「XXXXXXXXって言ってみ」
「XXXXXXXX? (ガキども爆笑) どういう意味?」
ガキD「Suck my 〇ickって意味さ(爆笑)」
「いらねーよそんな言葉!(笑) いつ使うんだ?」
ガk「警察に殴られた時だね(笑)」
「いやいやそのタイミングでそれを言ったら逮捕されるだろう」
ガ「いや逮捕はされない。そのかわりガンで撃たれるね(笑)」

陽気なガキども、もとい子供達は私を無事宿に送ってくれ、「ダメだったらうちにとめてやるよ」とまで言ってくれました。誰も彼もとても親切です。宿はシングル15ユーロ。

翌日散策したヘルツェグ・ノヴィの街は牧歌的で開放的な、とても気持ちの良いところでした。そこから世界遺産の古都、コトルまで沿線バスでちょうど1時間。

コトルはわざわざ足を運んだ甲斐のある、とても綺麗で小さな街でした。街自体が美しいのと、フィヨルド風リアス式海岸の、海と山と街のコントラストが素晴らしいです。

宿はまけてもらってシングル15ユーロ。

つづく。

2012/11/23

旧ユーゴ旅行3

<朝もやかかったサラエボの図>


さて市内をうろっと歩いてバスターミナルまで行き、モンテネグロへのバスチケットを探しました。当初は「とりあえず首都」と思っていたのですが、首都の名前が思い出せません。

カウンターで「モンテネグロの首都」というと「ない」とのことで、「どこでもいいからモンテネグロの大きい街」と言ったらファ~ファ~と何か言われ、OKOKといったら「Herceg Novi」と書かれていました。読み方さえ分からないですが、首都でないことだけはたしか。実際のところどこですかそれは。

その後中心部にむかって再び歩いている途中、疲れたのでふらっとカフェに入りました。コーヒーを注文して席を探してうろうろしていると、

「疲れてるね」

と英語で話しかけられました。

「うん、疲れてる」
「はは~(笑) ちょうど俺も疲れてるところだよ。すわりなよ」

彼はセルビア人でした。今はNY在住で、ちょっとした帰省&旅行中とのこと。彼はいかにもニューヨーカーらしく、夫婦でスシにはまっているとのことで、スシとニギリの違いについて教えてあげました。

彼 「ちょっとまって、バスと銀行について誰かに聞かないといけないから・・・(隣の席の地元女性2人組に話しかける)・・・おまたせ、分かった」
私 「ちなみにセルビア語とここの言葉って同じなんでしょ。アクセントで分かったりはするの?」
彼 「微妙なアクセントの違いはあるから、2~3言会話すると分かるよ」

私が気になったのはその先―セルビア人である(ことが分かる)ために敵対的な感情を向けられたりすることはあるのか、といった事でしたが、彼のカジュアルな声のかけ方だけ見ると、とてもそういうわだかまりがあるようには思えません。彼は戦中は恐らく私と同じく子供~思春期といったところだと思われましたが、世代にもよるのでしょうか。気になりましたが、ちょっと話題がセンシティブすぎて聞けませんでした。

その後彼と意気投合し、旧市街で夕食も一緒にしました。

彼 「サラエボの後の予定は?」
私 「多分モンテネグロ?(チケットみせる)」
彼 「あー結構大きな街だよ。ヘルツェグ・ノヴィだね (←ようやく読み方が判明)。そのあとは?」
私 「決めてない」
彼 「君は本当に何も決めずに旅行しているなー (←その通り)。なんで?」
私 「いや・・・タイムラインとかに縛られたくないのだ (キメ顔)(実際は面倒なだけ)」
彼 「それはちょっと分かるよ。ところで良かったらうちの実家の街に来ないか?ベオグラードから1時間位のXXX(聞き取れず)というところなんだけど。12月5日まではいるから。ベオグラードはマジで最高だよ」
私 「へ~。それはいいかもね~」

<旧市街>


その後、夜行バスでベオグラードに向かう彼と分かれ、旧市街を散策しました。水タバコ屋だのなんだのといった中東の香りのする店が多数ならんでいました。

宿は同じところに連泊しました。予算オーバーだから他にうつるというと、あっさりまけてくれました。他に客がいなかったのとオフシーズンのため正直そうなると踏んで話したのですが。

夜はヒーターをつけてもなお寒く、90年代の半ばに、この街で多くの人々が電気もガスも水道さえも使えない壊滅的な状況で2度も冬を越したことが信じられない程。

気力が持ち直してきたので、フランツ・フェルディナンド(この街で殺されたプリンスではなく、イギリスのバンドの方)を聞いて寝ました。彼らはサラエボと一切関係なく、これから女の子を口説きにいくぜ!と歌っていました。

つづく。

旧ユーゴ旅行2

サラエボの感想。

2時過ぎに到着。

バスターミナルの周りはザグレブとかなり様相が異なり、なんというかどんよりしていました。物乞いもウロウロしています。

外務省の治安情報上では「十分注意」なのでそこまで危険ではないですが、結構、他の方のブログを見ていると街のど真ん中で白昼堂々暴行・強盗にあったりとかいう記述がみられるのである程度「安全マージン」をしっかりとった方がよさそうです。

バス停の横に鉄道駅があり、そこの旅行代理店件ツーリストインフォらしきものをのぞくと、早くも店じまい中。が、中の兄ちゃん(とおじさんの中間)と目があって、中に入れてくれました。

「ホステルを探してるんですけど。なるべく安いやつ」
「パンフレットが3つあるよ。あと、うちもホステルやってるんだ。ドミトリーは改装中でやってなくて、シングルが20ユーロ」
「他のは?」
「両方とも15ユーロだね」
「地図とかあります?」
「2つあるんだけど、サラエボはまだちゃんと観光業が整備できてないからね・・・こっちの地図は通りが半分しかのってない。うん、こっちの方がいいかな。ホステルはこことこことここね」
「歩いたらどの位かかります?」
「10分くらい。全部旧市街の周りにあるよ。もしうちのホステルくるなら車で乗せていってあげられるよ。」
「(人良さそうだし自分ところをごり押ししないから好感持てる) うーん。じゃそうします」

なお、地図はないとかなりマズイです。グーグルマップを見ると分かるのですが、サラエボはグーグルマップで何も表示されません。どこの山村かと。

とりあえず宿で落ち着いて、一休みしたら日没。安全に気を配りつつ、旧市街を散策しました。旧市街はかなりトルコっぽい雰囲気で、行く途中コーランも聞こえてきました。ちなみにホステルのご家庭もちょっと覗いたところ明らかにムスリムでした。おそらくボシュニャク人なんでしょう。

宿にキッチンがついていたので、その日はパスタを自炊してすませました。

翌日はサラエボ市内をうろうろ。

この文章だと伝わる気がしませんが(伝える気もあまりない)、私にとって、サラエボはかなり衝撃的というか、強烈な街でした。シリアを初めて訪れた時に感じた時以来の。

まあ、この日のサラエボは濃霧に覆われていて独特の雰囲気があったのと、前日Youtubeでサラエボ包囲に関するドキュメンタリーを見たり、ボスニアの内戦について調べたりしていたのとで多分、変に(過剰に)気持ちが入り込んでいたのかもしれません。

サラエボは完全に小高い丘に囲まれた街で、セルビア軍が容易に包囲できたのも納得できます。濃霧と、丘に囲まれた圧迫感で、少し気が滅入りました。

チトー通り、かつては「スナイパーストリート」と呼ばれた通りには「サラエボのバラ」がありました。砲弾跡を赤い樹脂で塗った「サラエボのバラ」はかなり数が減っているようです。が、砲弾の跡というのは独特で、赤い樹脂がなくても(あるいは剥がれてしまっていても)すぐにそれと分かります。



鉄道駅からまっすぐ南に下ったところ、川沿いのエリアにかつて使われた戦車が展示してあり、ここにも「サラエボのバラ」を見ることができました。


街を歩いていると、とにかく銃で壁が穴だらけになった建物が目につきます。戦後20年弱でここまで復興したと見るべきか、未だ退廃の中にあると見るかは人それぞれでしょう。

出発前、ギリシャ人の友達が、バルカンにいけばそこら中で“Decadence”を見ることができるよ、と言っていました。実際来てみて何となくそのニュアンスが感覚的に分かるような気がします。

少なくとも断言できるのは、この"Decadence"も含めて、この街はとても美しいです。

2012/11/21

旧ユーゴ旅行1

続く、して終わってるエントリーがある中で旅行に出てしまったためそっちに関するエントリーです。

なんとなくバルカン半島地域、とりわけ旧ユーゴに属する地域に興味が出たため、Reading Breakを利用してそっち方面への一人旅に出発。行きが約40ポンド、帰りが約20ポンド。安い!

さて旅行の準備と引越と授業のレポートとゲストの来訪が重なってしまい、ロクな準備もできぬまま出発前日を迎えてしまいました。何よりガイドブックの類がないです。英語版のガイドブックも複数の図書館で探したものの、なし。買うのもばかばかしいし、そもそも大きな本屋でないとなさそう。しょうがないので
・グーグルマップを数枚印刷
・外務省HPで治安情報を確認
だけして旅行準備終了。

宿・移動手段・その他一切予約なし、ガイドブックなし、その他基本的な情報もなしという過去最高に無計画な状態で出発当日を迎えてしまいました。大丈夫なのか。

早朝便で、はじめてとなるガトウィック空港を出発。昼頃、クロアチア・ザグレブに着。寒いです。ロンドンより大分南のはずなのになぜ?どうもザグレブは比較的冷たい風が山の方から流れてくる街だとか。

シャトルバスで市内に到着。近くのインフォで安い宿を教えてもらって直行。清潔・設備よし・朝食コミで一泊85クーナ(1200円位)。安い。スタッフもフレンドリーでとても良かったのでリンクを貼っておきます

House Hostel
http://www.thehousehostel.com/

着くまでクロアチアはユーロでいける国だと思っていました。すみません。

着いた日は昼寝したら既に日が暮れており(とはいえまだ5時前)、夕食だけ食べにでて終わりにしました。

翌日も濃霧の曇天。秋のザグレブはこの天気が多い模様。クロアチア系ドイツ人の元フラットメイト・アンリは「何もないところ」とザグレブを形容していましたが、正直とても魅力的な街だと感じました。こじんまりとしていて街はトラムが走り、閑散としているでもなく、混みすぎることなく。北の旧市街エリアは丸一日、ただ散歩しているだけでも良かったです。

ただ空港から街までの郊外にある古いビルは言い様の無い退廃感にあふれていて、旧ユーゴ時代の遺物だと一目で分かりました。

物価も安い。※1クーナ=14円位
・トラム 15クーナ
・パン各種 3クーナ~5クーナ
・パイ各種 10クーナ
・昼食で食べたレストランのオムレツ 25クーナ
これでもバルカンエリアでは最も物価の高い水準とのこと。

そして何より、美人の多さが異常。英語覚えた瞬間にモデルになれそうな女性がウロウロしています(ここでイギリスの悪口を書こうかと思いましたがやめます。私はイギリス好きです)。

さて日程に限りがあるため次なる街へのバスのチケットを買いました。で、なぜか間違ってベオグラード行を買うつもりがサラエボ行を買ってしまいました。単純に間違えました。宿に帰って気づきました。アホの極み。さてこのチケットが約360クーナ。高い。たかい。Takai!!!! ロンドン―ザグレブ間と変わらないです。

続く。