2012/09/28

オリンピック雑感②

前回の続きです。

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■もうひとつ、考えさせられたのは、オリンピックの開催は、本当に(書くのも恥ずかしい響きだが)「世界平和」に資しているのかという点。日本のお隣の国を眺めるまでもなく、オリンピックはナショナリズムを刺激する。その意味ではむしろ「世界を分ける」方向に作用しているように感じられた。

■大学生のころ、共産党による独裁国家であるベトナムで、歴史に関する博物館を訪れてつくづく感じたが、ナショナリズムは極めて人為的に生み出される面が大きい。国旗、国家、地図、歴史、肖像、偉人にまつわるエピソードなどなど、様々なものがナショナリズムを強化する装置として機能する。で、オリンピックもその機能の一部になり得るのだと改めて思った。

■私自身は感情・心情的にはオリンピックが好きなのだが、日本の隣国とのゴタゴタを見るにつけ、そもそもオリンピックって必要なのかということを考えた。オリンピックの意義って何なのか?

■この問いに対する答えをぐるぐると考えると、オリンピックにはナショナリズムを強化する側面と軟化させる側面があることに気付く。

■そもそも、ナショナリズムそれ自体はある面で必要なものだ。どっかのレゲエシンガーが言ってたみたいに人類が地球に対して愛国心を持てればそれは素晴らしいが、実際はやっぱりリアリティーがない。やはり現状では国家単位での部分最適を目指さざるを得ず、その際その国家に属する個々の人々に主体性や当事者意識を持たせることは必要になる。

■問題はナショナリズムが行き過ぎてしまうことで、どこもかしこも部分最適ばかり追及しはじめると結果として全体に悪影響を及ぼす。排出権取引問題なんかはモロにそんな感じ。このあたりは経営学の組織論と似ている。

■さて一方でオリンピックがナショナリズムを強化するばかりかというと、そんなことはないなと、マラソンを見ながら思った。マラソンのようなシンプルな競技は、選手の大変さが想像しやすいから、応援する側も選手一人一人に感情移入しやすい。色々な国の連中が、走ってきたランナーに対して国籍関係なく応援していた光景は素直にいいなと思った。結局、世界のどこにいこうがだいたい仕事は面倒なもので、休暇は楽しいし、日曜の夜は憂鬱、家事は面倒で、夏の夜風は気持ちがいい、そして42.195キロを走るのは恐ろしく大変なのだ。誰にとっても。そういう想像力をはぐくむ力がオリンピックにはある、ような。


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