「プラネテス」「ヴィンランド サガ」続けて読みました。
ジャンルとしては多分120度位異なる作品(前者はSFだし後者はヨーロッパの歴史物)ではあるものの、本質的に作者のメッセージは同じだろうとは思います。人は社会的動物だから、愛することなしには生きられない。それが、前者だと宇宙を舞台にすることで孤独することとの対比によって、後者だと中世欧州の奴隷制度やヴァイキングの苛烈な生き様との対比によってより強固に浮彫になるという、そういう話と思います。
しかし厄介なことにこの作者の場合、「この過酷で不条理な世の中において理想の愛を体現できる神はいない」という思想の持ち主がいずれの作品にも登場します。そして、歴史を作るのはいずれもそうした人物として描かれている模様。
プラネテスでは木星探索用宇宙船の開発責任者がそれで、こちらは「神はいない」→「愛なんて大それた概念を現実に体現することは不可能だ」→「だからそんなモノは捨て去る」というロジックで、数百人の命を笑って犠牲にして大型エンジンの開発に成功したりとか。
ヴィンランドサガではクヌート(実在するデンマークヴァイキングの王様)がそれで、こっちは「神はいない」→「だから自分がその高邁な理想を実現する」→「その過程においては非常に徹する(愛情だって一時的に捨てる?)」という思考回路のもと血まみれ覇道を突き進む。
そもそもの人間(or生物?遺伝子?)の本質として拡大・発展・成長を指向するのは当然だとする意見を目にする一方で、個人的には(最近とくに)現状にそこそこ満足してるなら、無理な拡大発展をしなくても良しとする社会の方が成熟しているように感じてきていますので、上記二人の存在は私には「拡大発展を渇望する人間社会」へのアイロニーのように読めてしまいます。
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