2023/04/01

テニスについて2 向き合い方とか

テニスについての雑記の続き。


もともとは単純に運動になればいいと思って始めたことではあるのだが、案の定というべきかやってるうちにだんだん上達したいという欲が出てくる。


試合ももともとは特に考えていなかったのだけれどもここにきて早く試合をしてみたいと言う気持ちが増してきている。


あくまで体を鍛えて脳を鍛えると言う点に主眼をおいて継続していきたいと思っているし、自分は基本的には仕事優先でやっていきたい。


一方で中高の卓球で満足のいく成績を残せなかったのでその時の心残りがあり、ちょっとでもその心残りを解消したいという気持ちがあったり。


そこで一旦後2年ほどの間に限って、わりとはっきりした目標を掲げてやってみようと思いいたった。

 16ヶ月以内に初級の草トーナメントである程度描けるようになること。できればいちどは優勝目指す

 2年以内にやはり草トーナメントの初中級である程度勝てるようになること。やはり優勝目指す。

これらが達成できれば、運動神経悪めな人のチャレンジとしては上出来だと言えると思う。達成できなくても特に失うものもない。


そしてその後はあくまで趣味もしくは習慣として、週1度もレッスンを受けつつ、年に2-3回定期的に試合に出る。そこから先はあまり勝ち負けを気にせず、あくまで自分の技術的な向上を目指しそれを図るバロメーターとして試合に出る位の気楽な気持ちでやっていけると理想的だ。


どうしても年齢的にこれからフィジカル上なかなか行動しなくなってくるしむしろあるタイミングからは低下し始めるはずだ。


なので勝ち負けを強く意識するタイプの取り組み方からはあるタイミングで卒業し、その後は技術的な向上を楽しんでいければいいと思う。当然どこかでまた技術的な向上を見込みづらくなるタイミングもあるはずだが、そうなってきたときには単純にボールを打つ感触を楽しむと言う方向にシフトする手もあるし、あるいは、何か新しいスポーツを始めてみるのもいいのかもしれない。


テニスについて1 なぜテニスをするに立ったか

2月の頭にテニススクールに入会した。あまりの楽しさに毎週末のレッスンが心待ちになっている。


きっかけは「脳を鍛えるには運動しかない」という本で脳に良いスポーツとして紹介されていたことで、2/1に思い立って体験レッスンに申し込み、2/4に体験レッスンを受けて即入会した。


もともとテニスを始めるというアイデアは前々からあったのだが、上述の本がきっかけになった形。


卓球も検討したのだが、卓球だと昔やってた当時に解決出来なかった技術的な課題があり、再開した時にそれが解決するとも思えず、フラストレーションが溜まる気がしたのでやめた。


どういうことかというと、卓球経験者のボールはほとんどが強烈なスピンがかかっている。これをこちらもスピンをかけつつ打ち返していくわけだが、相手のスピン量を見誤るとオーバーしたり浮いて相手のチャンスボールになってりネットしたりするのだ。特に上回転と下回転がキモである。自分はこの回転量の瞬時の判別に難があり、これは練習よりセンスの問題だと思われた。


ちなみに卓球にはカットマンという、(差し当たり中級レベルまでなら)もう少し回転量の判別についてアバウトでもいける戦型があるのだが、これは守備的なスタイルで自分的の性格に合わず、ちょっと試してすぐやめてしまった。


何より全く新しいことを始めてみたかった。中高とやった卓球よりほぼ未経験のテニスの方が、ラーニングカーブをゴリゴリ登っていく時の楽しさを味わえるのではと思ったのだ。もちろん仕事でもそういうフェーズの面白さは長らく味わってない。


実際にやってみて、テニスは今の自分にとって色々と優れたところのあるスポーツだと分かった。


  1. たしかに脳に良さそう。テニスをやる人は長生きできるという研究結果もあるが、短距離ダッシュを繰り越すタイプの競技で心肺機能向上によいとされるインターバルトレーニングの要素がある。長生きスポーツ研究で2位になっていたバドミントンもそうだが、ラケットという道具を使うスポーツのため動作の複雑性も高い。
  2. 気持ちいい。卓球の打球感とはまた異なる気持ち良さで、(相対的に)広いコートにストロークを打ち込んでいくのは大変爽快感がある。もちろん卓球も気持ちいいが。テニスのはゴルフの打ちっぱなしの気持ち良さに通じるものがあり、ストレスフル社会人のツボにささる。最近は暇があればYouTubeでテニスのストローク練習の動画ばかり見てる。テニスはスイートスポットでちゃんと捉えないと手にかなり響くのだが、逆にきれいに捉えてスパーンと飛んでいくとめちゃくちゃドーパミン出る。
  3. 鍛えられる箇所のバランスが良い。全身良い感じに筋肉痛になる。またバックを両手打ちすると左腕も筋肉痛になり、これは卓球にないメリット。自分は卓球のクセで片手の方がしっくりくるのだが、初心者は両手推奨なのと、このバランスの観点から意識的に左手をつかうようにしている。
  4. 結構1人でも練習できる。壁打ちスペースあれば壁打ちできるし、ゴム付きボールで難しいけどストローク練習もやれるしサーブ練習もできる。ゴルフだとボール叩くわけにはいかないがテニスだと大きめの公園なら騒音で怒られることもなさそう。
  5. テニスに限らないが、スポーティーな服装に着替えるのも楽しい。スポーツアパレルとは縁遠い人生だったが、やってるうちに格好いいウェアとか欲しくなってくる。普段着ないような蛍光色のTシャツに原色のシューズ履いてレッスン用のコートに立つと別人になったみたいで楽しい。
  6. 1人でも試合に参加できる。シニア目のテニスはダブルスの方が盛んのようだが、ちゃんとシングルスもあり、その気になれば1人でも大会とかに参加できる。初級者向けの大会に出たりとかすごく楽しそう。

2023/01/03

2022−23年末年始

気がつけば2022年は一回も更新しなかった。

2022年は年がら年じゅう仕事に追い回され、ちょっと落ち着いてきた年末にはコロナにやられ、そのあとは後遺症に悩まされ、なかなか停滞感のある一年だった。2023年はもっと前に進んでいる感じのある一年にしたいものである。

2021/02/23

経験がないとはどういうことか

人事の仕事、特に労務系は知識だけであれば結構あとから短期的にキャッチアップできる面が大きい。それでも経験がモノをいう場面というのがたくさんある。

個別のER事例について、どういうアプローチなら例えばどれだけのリスクを伴うのか、どういう結果に帰着するのかといったことを予め推測しようとすると、当然知識はある程度必要になる。しかし知識とか法律だけで対処しようとするとグレーゾーンが大きすぎて、セーフマージンを大きくとらざるを得ない。つまり非常にコンサバでローリスクな対応しかとれなくなる。

ところがクライアントサイドは往々にしてもっと過激な、直截的なアプローチを求めていたりするものなので、それに対して常にコンサバな対応に終始するというのは要するにたとえば交渉らしい交渉から全てベタ降りするということだから、彼等からのこちらの評価が怪しくなってくるし、なにより会社にとってもコストがかかることが多い。

これは旅行における知識の関係性とだいたい相似形で、その地域の安全情報とかのさまざまな知識を予め得ておくのは当然必要として、それプラス経験をつめばつむほど適度にリスクをとれるようになってくるのに似ている。



2020/12/31

2020年の個人的備忘録

 2020年が終わる。今年は個人的なイベントと転居から始まったが、そのころはまさかこんな年になるとはまるで想像しなかった。3月頃までは岡山出張などもこなしていて、この感染症はいよいよヤバそうという印象は既にもっていたが、ここまでの生活環境の激変をどれだけ想像できていたか、今となっては思い出せない。

自分の場合わりとよくアンテナを立てていたのと、かなり好奇心をくすぐられるというか、極めて学際的なテーマで調べたくなる要素があったこともあり色々読んだりしていた。だから結構ことのインパクトはそれなりに予想できていた気がする。ただしこの感染症のインパクトの大小と、生活環境への影響の大小はかならずしもそのままリンクしない。というのも生活環境がどれだけ変わるかは、職場や学校といった自分が所属する組織がどれだけこの感染症に対応するかによるからである。もっというと自分の住んでいる国によってインパクトが変わってくる。

自分の場合日本に住んでいて、7月ころや秋ごろなんかは(みんなマスクしてたりする点以外は)割と普通の日常を送れていたわけだが(実際そのころには河口湖とか箱根とかにちょっとした国内旅行したりした)、これが欧米なんかであれば文字通り激変なのだろうと思う。

また自分の場合、2012年の留学以降はずっと年1回は海外に出る機会があったから、それが久々になかった珍しい年になった。唯一趣味らしい趣味だけに、旅が恋しい。

良かったのは、まず東東京に転居してアウェーに身をおけたこと。上野や北千住、西日暮里といった界隈は自分にとってとても新鮮でなかなか面白かった。やはり知らない街に住むのは良いものだ。また一時期は日経のオフィスパスを使ってあちこちのコワーキングで仕事した。六本木・渋谷・秋葉原・松戸など。コワーキングはオフィスという目的地があるから特定の街を訪れるきっかけになる。文字通りノマド化した感じ。これでコロナがなければもっと散策できて楽しかったのだろうと思うがこればかりはしょうがない。

もう一つ良かったのはやはりかなり徹底的に体調を見直すきっかけができたこと。これは昨年の鍼灸から着手しはじめたことではあるけども、春夏にかなり時間があったことでかなり徹底的に文献を調べて、自分のベンゾ離脱症に対するアプローチを研究することができた。

色々試してみる中で現在は、

・脳内のGABAを増やせそうなサプリ(ビタミンB6・ナイアシンなど)
・プロバイオティクス+オリゴ糖
・火を使わないお灸で首・肩をケアする
・ゴムチューブによる背筋・頸椎周りの筋肉の強化
・漢方
・各種のイビキ防止
・基本的な栄養・消化への配慮

といった方法論に行きついているが、今はこの数年では一番体調が良い。ベンゾ離脱症になってから一番かもしれない。まだ試していないメソッドがいくつかあるので、2021年はさらにいくつかバリデーションしながら体調改善を図りたいと思う。

思えば2018年の激務で2019年は最高に体調が悪かったわけだけど、それと比べると今は大変良いように思う。当たり前だが今年起きたような大きな外圧は色々なことを変える契機になる。その意味で自分にはやはり良い面もあった。一方で日本社会の変化の予想以上の緩慢さにはがっかりすることもあるが、これはもう今のこの国ではどうしようもないことなのかもしれない。

一方で2020年は個人的に進めていたプロジェクトの進捗がイマイチだった。幸いウチの会社は今後も在宅推奨になりそうなので、今後もう少し時間を上手に確保して進捗を早めていきたいところ。

2020/10/09

横浜トリエンナーレ2020

トリエンナーレ2020に行きました。


私はたまたま誘われていった2001年の第1回から全部行っているのですが、ちょっと気になってHPにのっていた過去の会場や入場者数を調べてみました。

2001 主会場:パシフィコ横浜展示ホール、横浜赤レンガ倉庫1号館
参加作家数:109作家
作品数:113件
総事業費:約7億円
総入場者数(有料会場入場者数):約35万人(約35万人)

2005 主会場:山下ふ頭3・4号上屋
参加作家数:86作家
作品数:84件
総事業費:約9億円
総入場者数(有料会場入場者数):約19万人(約16万人)

2008 主会場:新港ピア(新港ふ頭展示施設)、
日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)、
横浜赤レンガ倉庫1号館、三渓園、他無料3会場
参加作家数:72作家
作品数:66件
総事業費:約9億円
総入場者数(有料会場入場者数):約55万人(約31万人)

2011 主会場:横浜美術館、日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)
参加作家数:77組(79作家)/1コレクション
作品数:337件
総事業費:約9億円
総入場者数(有料会場入場者数):約33万人(約30万人)

2014 主会場:横浜美術館、新港ピア(新港ふ頭展示施設)
参加作家数:65組(79作家)
作品数:444件
総事業費:約9億円
総入場者数(有料会場入場者数):約21万人(約21万人)

2017 主会場:横浜美術館、横浜赤レンガ倉庫1号館、横浜市開港記念会館 地下
参加作家数:38組、1プロジェクト
総事業費:約9億円
総入場者数(有料会場入場者数):約26万人(約26万人)

2005以降、総事業費が一貫して9億円。場所の問題なのか、総入場者が一番少ないのが2005で、一番多いのが2008。近年は20~30万人のくらいの推移。総作家数は減少傾向です。

未だに一番印象深いのが2001で、この時は本格的な現代アートの展示会に行ったのが初めてで、その時は自覚していなかったものの結構衝撃を受けて帰ったようです。それ以来横浜トリエンナーレは毎回行ってますし、海外の現代アートの美術館も色々行きました。

2005はだだっぴろい会場に大規模な作品が多数で、じっくり楽しむ趣には欠けるが文化祭的な面白さは一番だったかも。

2008はトリエンナーレならではの文化祭的な雰囲気と、現代アートならではの価値観がゆさぶられるような感じが両方あって今思い返すと一番よかった。夜になって会場内カフェで休んでいたらアートクラスターな方々が熱心に語っていてなんか刺激を受けましたね。

2011からは運営が国際交流基金から横浜市に変わったとかで、横浜美術館が主会場。特にBankArtの方に印象に残るインスタレーションが多かったように思います。この回もなかなか良かったですね。

2014はふたたび新港ピアを第二会場。会場面積は一番かも。新港ピアはとりこわされて今はハンマーヘッドになってしまいましたが、ここは単純に広いコンベンション会場みたいな感じで、作品にあわせて会場レイアウトできる感じで良かったですね。

2017はひさびさに赤レンガを第二会場に使っていて、そちらはかなり良かった。2014・2017は東日本大震災からの影響を感じさせる作品が印象的。

それで2020はどうだったかというと、正直今までで一番盛り上がりに欠ける印象でした。なんか横浜美術館自体、会場に方に自由度がなくて作品が会場の枠に抑え込まれているような印象。初期のトリエンナーレにあった文化祭的な面白さに欠けるように感じました。第二会場のProt48の方が面白かったですね。エビの作品が印象的だった。

主会場を見れていない2001を除いて自分的に良かった順で並べると

1位 2008 
2位 2011
3位 2005 
4位 2014=2017 
6位 2020

という感じ。

2020/09/20

日本の夏 コロナの夏

 4月の緊急事態宣言からの5月までの自粛、6月の小康期間を経て7月にまた再拡大。


それで8月どうなるかと思いきやなぜか感染数が減少トレンドに転じた。8月のあいだ、結構都心に出たり近くの繁華街をウロウロしていたりしたのだが思ったより商店も飲食店も普通にオープンしていて、某餃子の●将みたいな庶民向けのお店なんかめちゃくちゃ密になってしまっているのを見かけた。ここのところまた増加の兆しが出ているという報道もあることを考えると、結局日本(とうか東京)の場合通勤電車というのが非常に大きな感染経路であって、8月にみな夏休みをとっていたから感染が減ったのではないかと思わざるをえない。


飲食店の意外な繁盛ぶりを見るにつけ、実は電車通勤者を減らし、あとはマスクとクラスター対策だけ徹底していればそこそこ経済を回すこともできるんじゃないかという気がしてくる。ニュージーランドや中国本土のような徹底的な封じ込め戦略がとれるのであればそれが一番経済には良さそうなんだけど、日本の場合個人情報保護法や、権力への懐疑的な世論もあるのでどうも難しそう。


ところで商店・飲食店の感染対策への対応は非常にきれいに二分されてしまっていて、
感染対策をしっかりしているお店(検温・ソシャディ・消毒あり)と、
なんもしてない、本当に野放しのお店。

前者はたとえばユニクロのような感染対策に耐えうる大企業と、感染対策をすること自体が集客上のアピールになるような、ちょっと民度というか、感染対策意識の高い層向けの飲食店がメインだし、

後者はたとえば個人経営の大衆居酒屋で、お金のない学生とか近所のおっさんとかが「感染とか怖がってられるかよ」とか言いながら飲んでるイメージの店とかで、あるいはカフェとかの低単価業態で席を間引くとどうしても赤になるようなお店。都内のスタバとか本当に普通に混んでいる。


気の毒なのは客単価・客層的には後者(大衆向け)なんだけど頑張って対策しているお店。対象顧客がそもそもあまり気にしてないから、感染対策が集客上のアピールポイントにならない。たぶんいろんな店がそのことに感覚的に気づいてて、つまり感染対策なんかせずに野放し路線全振りで経営しちゃったほうが(うっかり自分の店でクラスターが出て営業停止に追い込まれるとかのもろもろリスク差し引いても)多分良いという結論に至っていて、それが最近都内で見かけるやたら密度の高い飲食店の光景なんだろうと思う。


さて今年は全然海外旅行にいかなかった。出張もなかった。

思い起こすと留学だ出張だ旅行だっていうことで過去数年結構あちこち言っていて、9か国10地域のべ27海外渡航している。

2012年 イギリス
2013年 イギリス・チェコ・オーストリア・フランス
2014年 イギリス・ベルギー・香港・中国
2015年 アメリカ・カナダ・香港・中国
2016年 オランダ・香港
2017年 オランダ・ベルギー・中国・香港
2018年 イギリス・ドイツ・香港・台湾
2019年 イギリス・オランダ・中国・タイ

2020年はそんなわけで9年ぶりに一切日本から出なかった年になりそう。自分自身、海外の空気を吸う事でとてもインスピレーションを得られてきたと思っているので残念。

2020/06/12

候補者を口説ききるために大切なこと

インハウスリクルーターとして候補者、特にビジネスに大きなインパクトを与えるようなシニアポジションの内定者をどう口説くかは腕の見せ所です。

通常事業部長とか法人における財務責任者とか、その手の思いポジションになるとこちらも簡単には妥協できないため必然的に面接回数も選考する候補者の数も多くなりがちで、そのために1名の内定者の重みがジュニアポジションとは変わってきてしまいます。シニアポジションで一人内定者を逃すということは、それまでのプロセスで関わってきた役員レベルなんかの時間も全部無駄にすることになるからです。

シニアレベルの内定者を口説きおとすために大事なのは3つあります。

1情報収集
腕の立つヘッドハンターと良好な関係をつくるのはもちろんですが、ほかにも様々な情報ソースで候補者の周辺情報を洗っておく。ここでちゃんとその候補者のプライオリティやその背景にある金銭的・心理的インセンティブを把握しておけるかどうかが2の成否を左右する。


2社内のステークホルダーからの協力
最終的なこちらの口説き力みたいなのは、質×量みたいな側面がある。
①質)口説くのが上手な適切な人選のステークホルダーを巻き込めるか+彼らに1の情報収集をもとにした適切なディレクションを出せるか
②量)十分な数のステークホルダーを巻き込めるか
この①②どちらも普段から現場側のステークホルダーと十分良い関係を築けるかどうかや、彼らに採用側のバリューを適切に認知してもらえるかどうかが影響する。

3リクルーター自身のストーリーテリングの力
なんだかんだでリクルーターが直接口説く場面は少なくない。その時にとくに現場から離れた客観的視点からその候補者に入社してもらう必要性のストーリーを語れると成功率がとても上がる。たとえばA事業部は今こういう課題を抱えていて、あなたに入ってもらいBというスキルを活かしてその課題解決をしてもらいたいんです、という具合

あと123すべてに共通しているのは当該ビジネスについての理解度が万事に影響してくるので、基本的な教養みたいなのが割と物をいいます。私がたいして役にたたないMBAのありがたみを多少でも感じるのはそういう時です。


2020/01/19

備忘録、持ち家と賃貸の有利不利

持ち家が得かどうか


橘玲氏の本を読んでようやく持ち家の損得についてそれなりに考えを整理できたので備忘録として書いておきます。住宅ローン界隈には本当に疎いので金額とかは凄い的外れかもしれません。
家も資産の一形態に過ぎない。この前提で持ち家と賃貸の良し悪しを考えてみる。

仮に頭金なしで全額ローンを組んで5000万の住宅を購入したとする。
この家に賃貸で住んだ場合の家賃が今も今後も月12.5万円だったとき、年間家賃総額150万。借金を返す必要はあるが、5000万を運用して3%の運用益が出ている状態とみなせる。
仮に住宅ローン金利の支払い総額1000万円としてこれがこの運用を実現するための借入コスト。

今度は同じ5000万を運用して年3%の運用益を得られたとした場合を考えてみる。一年に150万の運用益。一月あたり12.5万円。これでさっきの例と同じ住宅に住んだとする。この場合持ち家と賃貸がトントン。

ただし賃貸は借入コストがかからない。信託報酬とか売買手数料がかかるが住宅ローンよりぜんぜんやすい。持ち家の場合はその分、実際はもっと良い、借入コストを補って余りある家に住めれば持ち家派の勝ちだし、賃貸派と同じレベルの物件にとどまるか、借入コストを吸収できなければ負け。

ただし持ち家派の場合大金を一つの資産にオールインすることになるのでハイリスク。これが賃貸派が持ち家派を攻撃するときの一番の理由。
あとは金融資産と住宅、値上がりする確率が高いのはどっちか。これも少子高齢化の日本だと住宅が不利とされることが多い。

ただし普通庶民は5000万も運用できない。なので借金つまりローンによる大きなレバレッジの運用をできる点がたぶん持ち家派の最大のアドバンテージになる。

もともと資産持ちならわざわざこの日本で住宅ローンに借金でオールインするより分散運用して得た収益で賃貸に住んだ方が良い気がするが、そんなのは極一部の話。

そう考えると住宅ローンもそう非合理的な選択でもない。

あと賃貸派は住宅ローンに追われない分積極的に資産運用しないと持ち家派に勝てない。ただ漫然と賃貸に住んでててはダメ。

2019/09/09

筋トレ

3ヶ月くらい前からまたジムに通いだしています。それで今日はじめてマシンの同じ重量を軽く感じるという経験をしました。あー、こういうことってホントにあるんだなって。

2019/09/08

文章を書くということ

これとは別に最近別の媒体を使ってとにかく長い文章を書きまくっている。

改めて思うが自分は結構文章を書くのが好きである。もっというとツイッターみたいな短文より、一つのスペースでまとまった長い文章を書くのが好きだ。

自分の場合たいしてロジカルでもないくせに自分の書いた文章の論理的・構造的な整合性がやたら気になるタチで、ツイッターだとどうもうまくストラクチャーをつくれない。

というか、一度書いた文章を切ったり貼ったりして構成しなおして、、、みたいなことをとにかくやりまくる方なので、一度呟いたら公正・再構成できないのが性に合わない感じがする。

それで今アウトプットのスピードを上げられるように時々音声入力でアウトプットするのだが、これもやはりストラクチャーが気になってつっかえてしまう。

ひょっとしたら先にストラクチャーを箇条書きのメモかなんかで作っておいて、それにそって喋るようにすれば音声入力でもぼちぼち書けるのかも。今度試してみようと思う。


とにもかくにも文章を書くとというのはエネルギーをつかうけど楽しい。

2019/01/01

2019年

今年でこのブログを書かきはじめてなんだかんだで10年になります。何か目標があってやっているわけではなく単に考えたことを書き溜めたりちょっとした出来事を綴ったりしているだけの場所なので、10年続けたから何かを達成したということもないですが、時々過去の駄文を読んでみると改めての発見があったりもします。

年末は会社の忘年会以外忘年会がありませんでした。また毎年恒例で遊びきにきているばーちゃんが足の手術の関係で来ませんでした。

この10年くらいは、

  1. 大学時代の友人の忘年会
  2. インカレ団体の忘年会
  3. 最初の会社の仲良かったチームでの忘年会
  4. 会社同期の忘年会か新年会
  5. 高校の友人の忘年会

のうち、必ず1・2を含む合計3〜4回くらいは忘年会があって、年末年始のどこかで実家でばーちゃんと弟と麻雀して、みたいな年末年始を過ごしてました。2の関連で増上寺の年越しイベントに2年位連続で参加したこともあったなぁ。

ですがこの2〜3年で友人達は家族を持ってしまって忘年会どころではなく、弟は結婚し、今年に至ってはばーちゃんは足が痛いということで結局マンションの大掃除をして21時位に実家に帰って蕎麦食って寝るという、まあ盛り上がりのない年末年始を過ごしました。

若かりしころの喧騒が懐かしいというものありますが、それ以上に毎年顔ぶれの決まった友人達と会って年末にその一年を振り返る、それでもって実家で麻雀してミカンを食べる、みたいなある種のルーチンでもって一年のサイクルを切り替えていたようなところがあるので、なんだか物足りない感じがしてしまいます。

私も今年には家庭を持つ予定なので、きっとこれからは次の10年のルーチンを作っていくべきステージなんでしょう。少し寂しかれど、大人にならないとね。



2018/11/22

インハウスリクルーターとエージェント(External Recruiter)の違い

インハウスリクルーターとエージェント、共通する部分も多いが異なる部分も多い。

私が最も異なると感じるのは、インハウスの方が何を正しい/正しくないとするか、その価値観の軸がインハウスはより複雑でエージェントの方がシンプルだということ。

同じ採用に関わる仕事でも、エージェントはフロントオフィスの仕事である。フロントであるからには基本的に会社にとってプラスで、顧客にとってプラスでもあれば良い。この2軸の座標軸上で右上を目指せば基本的には正しい。しばしばこの2軸の間でコンフリクトを起こすこともあるが、通常高い顧客満足は売上につながる。もっと言えば、顧客満足を置いてけぼりにしていたとしても売上・利益が上がっていれば正義とする会社もある。この場合はより一層シンプルである。

一方インハウスはバックオフィスの仕事だ。採用はその中でも定量管理のしやすい仕事ではあるが、価値観の軸はより複雑になる。例えばマーケティング部門のHiring managerがシンガポールにあるAPAC HQのシンガポール人で、ローカルのマーケマネージャーを採用しようとしているとする。ここで、

・Hiring managerは、将来自分の立場を脅かされることを恐れ、弱い人材を採用したいと思っている
・ローカルのHRディレクターはそれでは日本にとって良くならないので、より強い人材を採るべきだと考えており、グローバルマーケティングのより上層部に働きかけている。ただしこの根回しには少し時間がかかりそうだ
・ローカルのマーケチームの既存スタッフは人員不足で疲弊していて、誰でもいいので一刻も早く採用してほしいと思っている。また採用の遅れによる機会損失も生まれつつある
・あなたの評価は360度評価で決まり、HRディレクターもHiring managerも評価者になるが、影響力はHRディレクター>Hring manaerである

というような状況の時、どうするのが正しいのか?

一つの考え方は自分の評価が最大になるように動く。結局正解はないのだから、これはある意味正しい。もう一つの考え方は、自分が会社全体にとってもっとも正しいと信じる選択をする。その選択が実際に正しい結果を有無には、適切な信念を作り上げられるだけの勉強が必要になるし、コンフリクトを乗り越えるコミュニケーションが必要になる。なぜなら、人事モノでのコンフリクトは多くの場合価値観の不一致から発生するからだ。また、信念に則って行動したからといって、それが評価に結びつくとも限らない。

最終的に会社のプロフィットに結びつくことが正しいという点ではフロントもバックも変わりないのだが、フロントは顧客に近い分、利益を出すための方程式が短く、変数も少ない。バックだと間接部門の名の通りビジネスへの影響は間接的なものだから、選択肢Aと選択肢B、どちらがよりビジネス的に正しい選択肢かを正確に予測するのは不可能である。

こういう曖昧さ(Ambiguity)を受け入れられるかどうかは、インハウスリクルーターに向いているかどうかを大きく左右する。逆にエージェントなら数字を追いかけること自体にドライブされるタイプでないと厳しい。これは結構性格的な面が大きいと思われる。


2018/09/13

リアム・ギャラガーライブ


以前にも書いたが私にとってリアムギャラガーは永遠のヒーローである。

1でオアシスのファンになって以来、私にとってのロックの何たるかイコールリアムであり、社会の理不尽に行く手を阻まれるたびそれに立ち向かうエネルギーをくれる存在であった。

ただアルバムが次第にパワーダウンするようになるにつれ一時熱が下がってしまい、いずれライブいかねばと思いつつも時は過ぎ、ある時オアシスは解散してしまった。

なんだかんだいっていつかオアシスのライブ(しかもできればUK)に行き大合唱するのはちょっとした夢だっただけに、その機会が失われてしまったことに私は落胆した。

ビーディアイも聴いていたが、アルバムは悪くないもののYouTubeで見る限りでリアムのパフォーマンス、というか要は声が酷過ぎて、むしろオアシスは過去になったのだという思いを強くしたものである。

そのビーディアイも解散してリアムはソロになった。当然私はSpotifyでソロデビュー作を聴いてみた。オアシス全盛期の作品とは比べられないが、評判が良かっただけあって悪くない。

そして何より、YouTubeから流れてくるボーカルが格段に良くなっている。そんなこんなで、自分の中のオアシス/リアム熱が再燃してきたところでアダムエロペからオアシスTシャツが発売。当然買った。本当はサマソニの来日も行きたかったが日程合わず断念。

そして今日。私は武道館にてはじめてマイスーパーヒーローをお目にかかる機会を得たのである。


ライブは最高だった。20年越しの念願が成就したかんじ。

2018/07/29

中国出張の雑感

超個人的な、中国・香港出張で感じたことのまとめです。

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今の会社に入って5回目の香港来訪、深センなり香港なりへの出張が何だかんだ毎年入るためすっかり恒例行事と化している。今年に限っては秋にも予定されている。

同僚とともに中国本土から香港に戻ると、必ず口々に香港で得られる開放感の話題になる。


これは決して深センがより途上国っぽいとか香港が近代的ということとかではない。むしろホテルのある深セン中心部は香港よりも真新しく清潔で道も広く近代的だったりする。

中国本土にない開放感というのは、たとえば欧米人を相手に話すのより一段上の繊細さをもって話題を選ぶ必要があったり(たとえばドイツ人・アメリカ人相手なら酒を飲んでしまえば多少政治寄りのトピックも話してOKな雰囲気があるが、中国人相手だとまだちょっと正直怖い)、国境に近くなると妙なところにCCTVがあったり、GoogleやFacebookなど中国で使えないWebサービスの話題になると一瞬微妙な空気が流れたりとか、要するにそういう「自由な国だと不要な気遣いとかストレスがここだと発生する」ということだ。表現を変えると、1984のビッグブラザー的な、”コントロールされること”へのストレスだと思う。(もちろん単に私が慣れていないだけ、気にしすぎなだけ、あるいは半端な知識で彼の国に対して不要なバイアスを持っているだけという可能性はあるが)

最近(何か忘れたが)何かの記事で、中国初のITビジネスがGAFAクラスまでの成功を収めることはないだろう、なぜならBATのような中国IT/Webジャイアントには背後に国家による(時に理不尽で不気味な)コントロールの影を感じさせ、それが一部のユーザーを遠ざけるからだとという言説を読んだ。私もそうだと思う。

結局、国家による過度なコントロールは(一定の?)効率性と引き換えに、ソフトパワーを損なうのだ。裏をかえせば、明治以降日本が(一時期を除いて培ってきた)自由な価値観に基づくソフトパワーを活かす道こそ、日本の採るべき戦略なのかなと最近感じることが多い。

特に、毎回香港に行って思うのは、日本のソフトパワーの強さだ。ファッション、食、化粧品、生活雑貨といった分野での進出ぶりは目をみはるものがある。ローテクで、消費者が価値観で商品選択をする分野だ。たとえばこないだは頭髪ボリュームアップをうたう男性向けシャンプーの広告「男立ち」というキャッチフレーズがそのまま使われていた。「ち」の意味がわからなくても、それが日本語で、日本メーカーの製品であることにマーケティング上の意味があるということ。

ニュアンスは多少違うが、今日本の一部の層が北欧なんかに感じているような、「感度の高いライフスタイルへの憧れ」みたいな感じを、香港の一部の消費者が日本に対して持ってくれている印象がある。

では、仮に今の日本が強いソフトパワーを持っているとして、それを中国が近い将来持てるかといえば、まずないだろう。アジアだと韓国、台湾ならありえると思うが、中国は構造的に難しい。

なぜなら、この手の、「国の持つソフトパワー」と表現の自由には密接な関係があるからだ。表現の自由、芸術と言い換えてもいいが、アート、音楽、文学、ファッションといった領域は、進歩のために常に現状への批判精神が必要となる。国の体制批判というのはその最もポピュラーな形だ。

「何かを批判するとき、その批判をした人に対して身体的危害を加えられない」というのは表現の自由を担保する上での超基本的な前提条件と言える。(その上で何を表現するのが倫理的なのかを議論する必要はあるとしても)

この、表現とか芸術の前衛的な一番上流がダメになると、結局ビジネスにつながるような下流もダメになる。ファッションがわかりやすいが、最も前衛的なコレクションブランドは一般人には理解が難しいが、彼らはもう少しわかり安いデザイナーズブランド、少しビジネスになるレイヤーに影響をおよぼし、そのレイヤーが次の最も金になる大衆向けブランドのレイヤーに影響を及ぼす。今の中国からはコムデギャルソンは出てこないだろう。

最近、中国で過去最大の予算をかけた映画があまりに低調な動員のため即打ち切りになるというニュースがあった。直接的な理由かはわからないが、当局から内容についてのリクエストがあったという。この話も同じ構造に見える。

 「だから日本は素晴らしい。世界の人たちが憧れる日本」みたいなことを主張したいわけではなく、IT系ハイテク分野で負けつつあるようにおける今の状況で、日本が何を強みとできうるのかを考えないといけないな、と思って書き連ねた。

コンフリクトマネジメントのコツ?

採用をしていると年上・役職も上の人たちと割合フラットな立場でMTGをしたりチームを組んで面接をする機会がままあるのだが、当然採用についての意見が食い違うことは多いです。

で、色々観察していると、その意見の食い違い(コンフリクト)をうまくマネージしているリーダーと、そうではないリーダーがいることに気づく。よく言われるように、やはりコンフリクトマネジメントはソフトスキルなのです。

ではそれが上手な人と下手な人、いいかえれば意見対立をより少ないストレスで通過していける人の違いはどこにあるのか、最近あるリーダーと接していて感じることがあったのでまとめてみました。

①リスペクトの有無
相手の意見を尊重していることを十分示せていない。少なくとも一度反論せずに受容(プラス、できれば共感)する、その上で自分の意見を述べる。
ソフトスキルの一種ではあるのですが、一方でここには前提として価値観の多様性に対する根本的な理解があるかどうかが鍵に思え、実はきちんと習得するためには時間がかかるように思います。

②意思決定プロセスと役割期待へのギャップの有無
意思決定プロセスによって、リーダーがメンバーに求める役割も多様化しますが、このプロセスと期待値について誤解があると双方にストレスが生じる。
1 トップダウンで決定するし、メンバーからのインプットも求めない
2 最終的にはトップダウンで決定するが、メンバーからのインプットを求め参考にしたうえで決める
3 相手やグループに決定を委ねるが、リーダーも意見を述べる (この時リーダーが自分の影響力を理解・考慮できていないとこれもストレスのもとになる)
4 相手やグループに決定を委ねる。リーダーはファシリテーションなりオブザーブなりに徹する

特に、私の会社のようにフラットっぽい組織だと、往々にして
(a)2なのか3なのかが整理されておらず共有もされていないことで誤解が生じている 
(b)リーダーは3だとうたっているが、実際は限りなく2に近い状態になっている
…などなどの状態が発生しがちで、メンバーとしてはスッキリしない感情を抱えたたまま自分の意見がひっくり返されるという経験をしてしまう。

以前リーダーシップのコミュニケーションに関する研修で、「プロセスの話をしなさい」と口酸っぱく言われたものだが、意思決定プロセスについてもそこについての合意があれば、意外とmemberとしては納得できる・あきらめがつく場面も多いのではないかと思います。

私自身、昔NPOに所属していた時、あるリーダーが「今から○○について皆から意見をもらいます。ただ色々な意見を聞いた上で最終的な意思決定は自分でします」と明言されてミーティングが始まったことがあって、その時の結論にはとてもすっきりした気持ちで受け入れることができました。

今にして思えば、これぞ「プロセスについて話す」という良い事例だったんでしょう。

2018/05/13

自分がそれでも民主主義を信じたいと思える理由

「本当に民主主義は独裁に対して優位なのか(特に国家というある種の事業体の運営において)」というのが近年ずっとモヤモヤしていた問いかけの一つです。

私の働く会社は営利企業にも関わらずある種の民主主義に近い仕組みを取り入れている一風変わった会社なのですが、ここ数年そのネガティブな面が現れてきていることが社内で問題視されてもいます。変化への対応の遅れ、時に部分に対して悪影響をもたらす全体最適優先の意思決定がしづらい、管理コストの増加、などなどがそれです。

で、こうした問題は今(民主主義国家である)日本が直面している事象でもあります。国家財政が破綻しかかっていようが、少子高齢化が後戻りできないレベルで進行しようが、先進国でも下位の生産性が延々続いていようが、機動的に有効な施策を打っていくことができない。これは民主主義のネガティブな側面、つまり数的多数が反対することはできないことにも起因するのではないかと(そうした状況で本来必要な施策を支持する層が数的多数になるようコンセンサス形成する能力が政治エリートの役割なのかもしれないですが)。

隣の中国がトップダウン・中央集権の権力構造のもとスピーディーに色々な施策を展開しているように見えますが、よく考えるとトップの決定が(多数派の意見より)優先される仕組みというのは基本的にどんな営利企業でも共有しています。両者の違いとして、企業の場合経営と所有が分離されることでトップが監督されうる状況にこそあるものの、所有者である株主は一人一票ではなく所有株数によっては特定の誰かの意向が強く反映されたりするわけなので、この監督の仕組みは必ずしも民主的とは言えない。

つまり、世の経済活動の主役である株式会社達が独裁を取り入れている、あるいは少なくとも否定していない(否定すればそれは株式会社ではなくなる)わけで、それならば国家という事業体だってひょっとして独裁の方が上手くという言説も成り立つのでは?というのが冒頭の疑問なわけです。

ただ一方でやはり先人達による民主主義の歴史がある日本に生まれた自分としては民主主義の優位性を信じたい気持ちもあり、民主主義の事業運営におけるアドバンテージは何なのだろうと考えていました。

で、最近そのヒントになったのが、ジャレド・ダイヤモンド「鉄・病原菌・銃」という分厚い歴史に関する本、もともとCivilization 5をより楽しくプレイするというだけの理由で買った本だったのですが。

同書を読む中で非常によく理解できたのが、繁殖を通じて自分たちの子供に多様性を与えることが、種としての生存戦略になっているということです。植物には自家受粉植物と他家受粉植物があり、前者は多様性を生み出す程度がやや控えめな代わりに突然変異で生まれた性質を次代に引き継ぎやすい一方、後者は幅広い交配で多様性に富んだ個体を産みだすものの、その多様性が世代交代によって失われやすい。
「野生植物に多く見られる雌雄同体や雌雄異体の他家受粉植物は、農耕をはじめたばかりの原始人たちにとって悩みの種であった。多収穫の突然変異種を見つけても、すぐに他家受粉してしまい、有用な特性が一代かぎりで終わってしまったからである」上巻p250
肥沃な三日月地帯の原始人は、植物の中でも特に時折特全変異を生み出しつつもその性質を子孫に伝達しやすい「自植性植物」にめぐまれていたことで、品種改良による食物生産において圧倒的に有利なあったわけですが、植物側の立場にたつと、どの程度の多様性をもたらすべきか(=どの程度突然変異が世代交代で失われるのを許容するか)は、各植物による環境への適応における最重要戦略だと言えます。多様性と特性の遺伝度合いはトレードオフの関係にあり、それをどうバランスさせるかによって環境の変化に適切に対応できるかどうかが決まる。この関係性は、政治体制における多様性(Diversity)と統制(Control)のトレードオフに似ているのではないかと思うのです。

人類はこうした植物の中で、「多様性控え目&特性遺伝度高め」な植物を見つけ、それらに一定の方向性、たとえば収穫量が多いとか、実が大きい、甘みが強い、災害に強いなどといった性質を意図的に強めることで食料生産を可能にしました。つまり、非常に強い統制でもって進化の方向性を決めてしまう試みです。

当然、この過程で収穫量が少なかったり実が小さかったりする個体(=突然変異)は排除されていくわけで、これは種として変化への対応力を弱めます。上述したように、多様性は(程度問題こそあれど)種が環境に適応するのにおいて必須要素だからです。

経営の世界では、
「全体を救うイノベーションは常に多様性から生まれる」
という言葉があります。これは経済でも企業でも種でもあるいは国家でも同じなのではないでしょうか。

その意味で、独裁というのは人類による植物の品種改良と同じように、統制が強すぎるがために長期的な変化への対応力や回復力(Resilience)を弱める仕組みなのではないかと。たとえば中国が長期にわたって実施した一人っ子政策、あれについてもその政策的な失敗はほとんど明らかですが、独裁政権が協力に推し進めたものであるがために自己否定もすることができず簡単にその旗を降ろすことができずダラダラ続いてしまったものに見えます。これが民主国家であれば「前政権の政策は失敗だった」といってアッサリ撤回できてしまう。トランプがオバマ政権と逆の政策を続けて発表できてしまうのも、そういうことだと思うのです。

というわけで、そもそも民主主義を支持したいという気持ちもあってこういう論を進めてしまったわけですが、正しいか間違っているかは今後の世界の独裁国家の成り行きを見守りつつ考えたいと思います。





2018/04/05

大分歯石がたまってきてしまったのが素人目にも明らかだったため、気合いを入れて少しお高い自由診療の歯科に行ってきました。その時た色々貴重な話を聞けたのでメモ。

  • 歯磨き粉の研磨剤は悪い物ではなく、むしろ汚れを落とすには必要。ただし粒の細かいものを選ぶ必要がある。安価なものだとシュミテクトがよい。シュミテクトでギリギリの大きさ。その歯科での推奨品はデント ブリリアントモア。
  • リカルデントやポスカムも効果あり。キリトールガムも良いがあっちは作用機序が違う。
  • 私の場合、歯ぎしりの圧がかかることで歯茎が痩せてしまっている。結構進行しているので大きく改善することはできない。ただしクリーニングと、マウスピースによる圧の緩和、そもそもなるべく歯ぎしりしないようなストレスの緩和などで少し戻ることはある。その気になれは手術で多少の改善は可能だが、基本的にはこれ以上進行させないことが大事。そのためにもマウスピースは必須。見たところ私のケースもマウスピースは奏功していて、まだ歯がすり減りきってはいない。
  • 硬い歯ブラシも歯茎痩せの一因。歯ブラシは柔らかく細いモノをつかうべき。
  • ソニケアはやはりオススメ。ただし私のようなタイプの場合、ブラシ部分をセンシティブタイプに変えた方がよいかも。


2018/02/24

私の会社の初の新卒インターンシップが終わった。

当初は大人しい子が多いイメージで不安を感じていたが、優秀な子、ポテンシャルの高い子が多く、帰る頃には評価が一変していた。

ウチがそういう会社というのもあるが、参加者に海外やグローバルな仕事に関心のある子が多く、皆つたない英語で話すことに躊躇がない。

本来ならこういう人材にガツンと刺激を与えられる時間を提供したいところで、そのための最善は尽くしたつもりだが、いかんせん採用のためのアセスメントとプロモーションが第一義なのでどうしても限界はあったりする。

そう、優秀な人材にはちゃんと刺激を与えて育てていかないといけない。

年一で深セン出張に行っているが、ああいう放っておいても競争、経済成長、変化と革新が日夜起こる場所ではかれらは無意識にでも刺激を得て伸びてゆく。

自分はもともと新卒でベンチャー的な会社に入った人間で、競争、成長、変化が多い環境の功罪はそれなりに理解できているつもりだ。

そういった環境は往々にして下品、未成熟、粗野で健康に悪かったりするが、能力を高め貪欲さを育む。成長が鈍化し、新しい商売がなかなか生まれない国では必要なものだ。

ここでいつも腹が立つのは日本のここが凄いだなんだと自己満足を煽るたくさんのコンテンツ。きっと実際に凄いところ、世界に認められている技術や文化的コンテンツもあるだろうとは思う。だがそれで得られる安心は愛国心は育むかもしれないが若者をスポイルしてゆく。

危機感や劣等感に駆り立てれて伸びる能力はあるはずで、それは安心や誇りなんかと上手くバランスされていないといけない。が、今の日本で前者を
麻痺させようさせようとするコンテンツが氾濫しているのはどういうことなのか。


このことには憤ってばかりいる。

2017/12/03

歴史と物語と国の理念とビジネスチャンス

たまたま続けて読んだ3冊「いま世界の哲学者が考えていること」(岡本裕一朗)「世界史の極意」(佐藤優)「国のために死ねるか」(伊藤祐靖)に、続けて読むことで気付かされた点があったのでそのメモです。

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それぞれ色んなトピックを内包している本だが、「物語」という観点から少し掘り下げて考えてみたい。

「物語」というのは、2ヶ月前のエントリーで書いた、「文脈と背景」ということについて考えていたために引っかかったキーワードでもある。
 "現代がどのような時代であるかを完璧に説明することなどできません。そこで、過去の歴史的な状況との類比を考えることによって、現代を理解するという作業が必要になるのです。
 この作業は、現在を理解するための「大きな物語」をつくることだと言い換えることができるでしょう。「大きな物語」とは、社会全体で共有できるような価値や思想の体型のこと。「長い十九世紀」の時代であれば、「人類は無限に進歩する」とか「民主主義や科学技術の発展が人々を幸せにする」というお話が「大きな物語」です。" 「世界史の極意」p21 
自分が今生きている時代を歴史の中で位置付けて理解するという作業は物語を作る作業に似ている。
“とくに、私の世代以降の日本人の知識人は、「大きな物語」の批判ばかりを繰り返し、「大きな物語」をつくる作業を怠ってきてしまいました。”
“人間は本質的に物語を好みます。ですから、知識人が「大きな物語」をつくって提示しなければ、その間隙をグロテスクな物語が埋めてしまうのです。” (同p22)
以前読んだ、村上春樹の地下鉄サリン事件被害者へのインタビューをまとめた「アンダーグラウンド」の中で近いような事が書かれていて、これについて自分で書いたエントリーを自己引用してみる。
"自我を失えば、「あなたは自分という一貫した物語をも喪失してしまう。」「しかし人は物語なしに長く生きていくことはできない」。物語は制度(システム)を超えて他者と共時体験を行うためのファクターだからです。"
 "作者はここに至り、二つの問いを投げかけています。
(A)それに対して、我々はどんな有効な物語を持ち出すことができるだろう?(B)あなたの物語は本当にあなたの物語なのか?我々は(意識的/無意識的に)自我をシステムに差出し、代償としての物語をうけとっていないか?" 
http://symemo.blogspot.jp/2011/11/blog-post.html
この村上春樹の主張は感覚的に理解できる。卑近な例えだが、失恋した人がJpopの歌詞聞いて「いかに共感できるか」をSNSに投稿したりするのは、自らの個人的な体験を物語化して他人とシェアすること自体にある種の癒しがあるからだろう。

オウムが勢力を伸ばしたのは日本が高度経済成長とか東京オリンピックとか一億総中流とかの社会としてのビジョンを失いひたすら停滞していた90年代前半だったが、日本は国としてはいまもまだ大きな物語を人々が見出しづらい国のような気がする。

「国のために死ねるか」は、元自衛官の人が書いた本で、いかにも右寄りっぽいタイトルとは裏腹に日本の国としてのあり方に問題提起をしていて面白かった。文末に元自衛官ならでは煩悶が吐き出されている。
“私は現在の日本に不満があるし、不甲斐なさも感じている”
“せっかく、一度しかない人生を捨ててまで守るのなら、守る対象にその価値があってほしいし、自分の納得のいく理念を追求する国家であってほしい” (「国のために死ねるか p246)
たしかにオウムのあとテロを起こすようなカルト集団こそ生まれてはいないが、日本に国としての理念らしきものがあるようには見えない。そして「世界史の極意」が言うように排外主義などの“グロテスクな物語”は氾濫している。またそもそも「大きな物語」もはや機能しないという見方もある。
“哲学的に「ポストモダン」を定式化したのは、ジャン・フランソワ・リオタールの『ポスト・モダンの条件』(1979年)です。(中略)たしかに、現代人は、こうした真理や規範を、もはや信じているようには見えません”
“それに代わって、リオタールがポストモダンとして提唱したのが、小さな集団の異なる「言語ゲーム」でした。他とは違う「小さな物語」を着想し、多様な方向へ分裂・差別化することが、ポストモダンの流儀となりました。”(今世界の哲学者が考えていること P36)
私はリオタールの原書は読んでないが「今世界の〜」を文字通りに読むなら、村上春樹が小説を書き続けるのはある種の「小さな物語」を提示するためなのかもと思う。

以前にも書いたが、この小さな物語とか文脈の提示というのはAIとロボットがひたすら人間の仕事を代替していった後に残る領域の一つかもしれない。

たとえばエコ。エコフレンドリー製品は、購入者が直接的な便益を感じることは普通あまりない。オゾン層破壊は一消費者がエアコンをフロンガス不使用のものに替えたところで目に見える解決にはならないが、地球環境をより持続可能なものにする、という物語に参加することができる。そしてその物語を作っているのはアル・ゴアのような活動家だったり、エコ雑誌の編集者だったり、企業のソーシャルマーケティング担当者だったりするわけで、これはAIに代替してしまうと味気なさすぎるので人間がすることに価値がある。

また、手仕事に再度価値が戻ってくる可能性もある気がする。ハンドメイド製品のマーケットプレイスのひとつ、エッツィは13年度時点での総取引高が14億ドルに達し100万人もの売り手がいるという(「マッキンゼーが予測する未来」)。自分も最近同業のMinneで木製ベンチを買ったのだが、量産品にはない良い意味でのラフな味と、作り手の顔が見えることもあってとても気に入っている。

以前にも似たようなことを書いたが、大量生産の味気ない消費財に飽きた一部の消費者が手仕事のもつ小さな小さな物語に先祖返り的に価値を感じるようになる時代が来つつあるのではないか。エッツィなどの成功の最大の要因は潜在的な無数のスモールビジネスを掘り起こしたことにあるのだろうが、Minneの作り手の作家性を打ち出したTVCM等を見るとこの手仕事の価値の再興も寄与しているように思える。