2019/09/09
2019/09/08
文章を書くということ
これとは別に最近別の媒体を使ってとにかく長い文章を書きまくっている。
改めて思うが自分は結構文章を書くのが好きである。もっというとツイッターみたいな短文より、一つのスペースでまとまった長い文章を書くのが好きだ。
自分の場合たいしてロジカルでもないくせに自分の書いた文章の論理的・構造的な整合性がやたら気になるタチで、ツイッターだとどうもうまくストラクチャーをつくれない。
というか、一度書いた文章を切ったり貼ったりして構成しなおして、、、みたいなことをとにかくやりまくる方なので、一度呟いたら公正・再構成できないのが性に合わない感じがする。
それで今アウトプットのスピードを上げられるように時々音声入力でアウトプットするのだが、これもやはりストラクチャーが気になってつっかえてしまう。
ひょっとしたら先にストラクチャーを箇条書きのメモかなんかで作っておいて、それにそって喋るようにすれば音声入力でもぼちぼち書けるのかも。今度試してみようと思う。
とにもかくにも文章を書くとというのはエネルギーをつかうけど楽しい。
改めて思うが自分は結構文章を書くのが好きである。もっというとツイッターみたいな短文より、一つのスペースでまとまった長い文章を書くのが好きだ。
自分の場合たいしてロジカルでもないくせに自分の書いた文章の論理的・構造的な整合性がやたら気になるタチで、ツイッターだとどうもうまくストラクチャーをつくれない。
というか、一度書いた文章を切ったり貼ったりして構成しなおして、、、みたいなことをとにかくやりまくる方なので、一度呟いたら公正・再構成できないのが性に合わない感じがする。
それで今アウトプットのスピードを上げられるように時々音声入力でアウトプットするのだが、これもやはりストラクチャーが気になってつっかえてしまう。
ひょっとしたら先にストラクチャーを箇条書きのメモかなんかで作っておいて、それにそって喋るようにすれば音声入力でもぼちぼち書けるのかも。今度試してみようと思う。
とにもかくにも文章を書くとというのはエネルギーをつかうけど楽しい。
2019/01/01
2019年
今年でこのブログを書かきはじめてなんだかんだで10年になります。何か目標があってやっているわけではなく単に考えたことを書き溜めたりちょっとした出来事を綴ったりしているだけの場所なので、10年続けたから何かを達成したということもないですが、時々過去の駄文を読んでみると改めての発見があったりもします。
年末は会社の忘年会以外忘年会がありませんでした。また毎年恒例で遊びきにきているばーちゃんが足の手術の関係で来ませんでした。
この10年くらいは、
のうち、必ず1・2を含む合計3〜4回くらいは忘年会があって、年末年始のどこかで実家でばーちゃんと弟と麻雀して、みたいな年末年始を過ごしてました。2の関連で増上寺の年越しイベントに2年位連続で参加したこともあったなぁ。
ですがこの2〜3年で友人達は家族を持ってしまって忘年会どころではなく、弟は結婚し、今年に至ってはばーちゃんは足が痛いということで結局マンションの大掃除をして21時位に実家に帰って蕎麦食って寝るという、まあ盛り上がりのない年末年始を過ごしました。
若かりしころの喧騒が懐かしいというものありますが、それ以上に毎年顔ぶれの決まった友人達と会って年末にその一年を振り返る、それでもって実家で麻雀してミカンを食べる、みたいなある種のルーチンでもって一年のサイクルを切り替えていたようなところがあるので、なんだか物足りない感じがしてしまいます。
私も今年には家庭を持つ予定なので、きっとこれからは次の10年のルーチンを作っていくべきステージなんでしょう。少し寂しかれど、大人にならないとね。
年末は会社の忘年会以外忘年会がありませんでした。また毎年恒例で遊びきにきているばーちゃんが足の手術の関係で来ませんでした。
この10年くらいは、
- 大学時代の友人の忘年会
- インカレ団体の忘年会
- 最初の会社の仲良かったチームでの忘年会
- 会社同期の忘年会か新年会
- 高校の友人の忘年会
のうち、必ず1・2を含む合計3〜4回くらいは忘年会があって、年末年始のどこかで実家でばーちゃんと弟と麻雀して、みたいな年末年始を過ごしてました。2の関連で増上寺の年越しイベントに2年位連続で参加したこともあったなぁ。
ですがこの2〜3年で友人達は家族を持ってしまって忘年会どころではなく、弟は結婚し、今年に至ってはばーちゃんは足が痛いということで結局マンションの大掃除をして21時位に実家に帰って蕎麦食って寝るという、まあ盛り上がりのない年末年始を過ごしました。
若かりしころの喧騒が懐かしいというものありますが、それ以上に毎年顔ぶれの決まった友人達と会って年末にその一年を振り返る、それでもって実家で麻雀してミカンを食べる、みたいなある種のルーチンでもって一年のサイクルを切り替えていたようなところがあるので、なんだか物足りない感じがしてしまいます。
私も今年には家庭を持つ予定なので、きっとこれからは次の10年のルーチンを作っていくべきステージなんでしょう。少し寂しかれど、大人にならないとね。
2018/11/22
インハウスリクルーターとエージェント(External Recruiter)の違い
インハウスリクルーターとエージェント、共通する部分も多いが異なる部分も多い。
私が最も異なると感じるのは、インハウスの方が何を正しい/正しくないとするか、その価値観の軸がインハウスはより複雑でエージェントの方がシンプルだということ。
同じ採用に関わる仕事でも、エージェントはフロントオフィスの仕事である。フロントであるからには基本的に会社にとってプラスで、顧客にとってプラスでもあれば良い。この2軸の座標軸上で右上を目指せば基本的には正しい。しばしばこの2軸の間でコンフリクトを起こすこともあるが、通常高い顧客満足は売上につながる。もっと言えば、顧客満足を置いてけぼりにしていたとしても売上・利益が上がっていれば正義とする会社もある。この場合はより一層シンプルである。
一方インハウスはバックオフィスの仕事だ。採用はその中でも定量管理のしやすい仕事ではあるが、価値観の軸はより複雑になる。例えばマーケティング部門のHiring managerがシンガポールにあるAPAC HQのシンガポール人で、ローカルのマーケマネージャーを採用しようとしているとする。ここで、
・Hiring managerは、将来自分の立場を脅かされることを恐れ、弱い人材を採用したいと思っている
・ローカルのHRディレクターはそれでは日本にとって良くならないので、より強い人材を採るべきだと考えており、グローバルマーケティングのより上層部に働きかけている。ただしこの根回しには少し時間がかかりそうだ
・ローカルのマーケチームの既存スタッフは人員不足で疲弊していて、誰でもいいので一刻も早く採用してほしいと思っている。また採用の遅れによる機会損失も生まれつつある
・あなたの評価は360度評価で決まり、HRディレクターもHiring managerも評価者になるが、影響力はHRディレクター>Hring manaerである
というような状況の時、どうするのが正しいのか?
一つの考え方は自分の評価が最大になるように動く。結局正解はないのだから、これはある意味正しい。もう一つの考え方は、自分が会社全体にとってもっとも正しいと信じる選択をする。その選択が実際に正しい結果を有無には、適切な信念を作り上げられるだけの勉強が必要になるし、コンフリクトを乗り越えるコミュニケーションが必要になる。なぜなら、人事モノでのコンフリクトは多くの場合価値観の不一致から発生するからだ。また、信念に則って行動したからといって、それが評価に結びつくとも限らない。
最終的に会社のプロフィットに結びつくことが正しいという点ではフロントもバックも変わりないのだが、フロントは顧客に近い分、利益を出すための方程式が短く、変数も少ない。バックだと間接部門の名の通りビジネスへの影響は間接的なものだから、選択肢Aと選択肢B、どちらがよりビジネス的に正しい選択肢かを正確に予測するのは不可能である。
こういう曖昧さ(Ambiguity)を受け入れられるかどうかは、インハウスリクルーターに向いているかどうかを大きく左右する。逆にエージェントなら数字を追いかけること自体にドライブされるタイプでないと厳しい。これは結構性格的な面が大きいと思われる。
私が最も異なると感じるのは、インハウスの方が何を正しい/正しくないとするか、その価値観の軸がインハウスはより複雑でエージェントの方がシンプルだということ。
同じ採用に関わる仕事でも、エージェントはフロントオフィスの仕事である。フロントであるからには基本的に会社にとってプラスで、顧客にとってプラスでもあれば良い。この2軸の座標軸上で右上を目指せば基本的には正しい。しばしばこの2軸の間でコンフリクトを起こすこともあるが、通常高い顧客満足は売上につながる。もっと言えば、顧客満足を置いてけぼりにしていたとしても売上・利益が上がっていれば正義とする会社もある。この場合はより一層シンプルである。
一方インハウスはバックオフィスの仕事だ。採用はその中でも定量管理のしやすい仕事ではあるが、価値観の軸はより複雑になる。例えばマーケティング部門のHiring managerがシンガポールにあるAPAC HQのシンガポール人で、ローカルのマーケマネージャーを採用しようとしているとする。ここで、
・Hiring managerは、将来自分の立場を脅かされることを恐れ、弱い人材を採用したいと思っている
・ローカルのHRディレクターはそれでは日本にとって良くならないので、より強い人材を採るべきだと考えており、グローバルマーケティングのより上層部に働きかけている。ただしこの根回しには少し時間がかかりそうだ
・ローカルのマーケチームの既存スタッフは人員不足で疲弊していて、誰でもいいので一刻も早く採用してほしいと思っている。また採用の遅れによる機会損失も生まれつつある
・あなたの評価は360度評価で決まり、HRディレクターもHiring managerも評価者になるが、影響力はHRディレクター>Hring manaerである
というような状況の時、どうするのが正しいのか?
一つの考え方は自分の評価が最大になるように動く。結局正解はないのだから、これはある意味正しい。もう一つの考え方は、自分が会社全体にとってもっとも正しいと信じる選択をする。その選択が実際に正しい結果を有無には、適切な信念を作り上げられるだけの勉強が必要になるし、コンフリクトを乗り越えるコミュニケーションが必要になる。なぜなら、人事モノでのコンフリクトは多くの場合価値観の不一致から発生するからだ。また、信念に則って行動したからといって、それが評価に結びつくとも限らない。
最終的に会社のプロフィットに結びつくことが正しいという点ではフロントもバックも変わりないのだが、フロントは顧客に近い分、利益を出すための方程式が短く、変数も少ない。バックだと間接部門の名の通りビジネスへの影響は間接的なものだから、選択肢Aと選択肢B、どちらがよりビジネス的に正しい選択肢かを正確に予測するのは不可能である。
こういう曖昧さ(Ambiguity)を受け入れられるかどうかは、インハウスリクルーターに向いているかどうかを大きく左右する。逆にエージェントなら数字を追いかけること自体にドライブされるタイプでないと厳しい。これは結構性格的な面が大きいと思われる。
2018/09/13
リアム・ギャラガーライブ
以前にも書いたが私にとってリアム•ギャラガーは永遠のヒーローである。
高1でオアシスのファンになって以来、私にとってのロックの何たるかイコールリアムであり、社会の理不尽に行く手を阻まれるたびそれに立ち向かうエネルギーをくれる存在であった。
ただアルバムが次第にパワーダウンするようになるにつれ一時熱が下がってしまい、いずれライブいかねばと思いつつも時は過ぎ、ある時オアシスは解散してしまった。
なんだかんだいっていつかオアシスのライブ(しかもできればUK)に行き大合唱するのはちょっとした夢だっただけに、その機会が失われてしまったことに私は落胆した。
ビーディアイも聴いていたが、アルバムは悪くないもののYouTubeで見る限りでリアムのパフォーマンス、というか要は声が酷過ぎて、むしろオアシスは過去になったのだという思いを強くしたものである。
そのビーディアイも解散してリアムはソロになった。当然私はSpotifyでソロデビュー作を聴いてみた。オアシス全盛期の作品とは比べられないが、評判が良かっただけあって悪くない。
そして何より、YouTubeから流れてくるボーカルが格段に良くなっている。そんなこんなで、自分の中のオアシス/リアム熱が再燃してきたところでアダムエロペからオアシスTシャツが発売。当然買った。本当はサマソニの来日も行きたかったが日程合わず断念。
そして今日。私は武道館にてはじめてマイスーパーヒーローをお目にかかる機会を得たのである。
ライブは最高だった。20年越しの念願が成就したかんじ。
2018/07/29
中国出張の雑感
超個人的な、中国・香港出張で感じたことのまとめです。
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今の会社に入って5回目の香港来訪、深センなり香港なりへの出張が何だかんだ毎年入るためすっかり恒例行事と化している。今年に限っては秋にも予定されている。
同僚とともに中国本土から香港に戻ると、必ず口々に香港で得られる開放感の話題になる。
これは決して深センがより途上国っぽいとか香港が近代的ということとかではない。むしろホテルのある深セン中心部は香港よりも真新しく清潔で道も広く近代的だったりする。
中国本土にない開放感というのは、たとえば欧米人を相手に話すのより一段上の繊細さをもって話題を選ぶ必要があったり(たとえばドイツ人・アメリカ人相手なら酒を飲んでしまえば多少政治寄りのトピックも話してOKな雰囲気があるが、中国人相手だとまだちょっと正直怖い)、国境に近くなると妙なところにCCTVがあったり、GoogleやFacebookなど中国で使えないWebサービスの話題になると一瞬微妙な空気が流れたりとか、要するにそういう「自由な国だと不要な気遣いとかストレスがここだと発生する」ということだ。表現を変えると、1984のビッグブラザー的な、”コントロールされること”へのストレスだと思う。(もちろん単に私が慣れていないだけ、気にしすぎなだけ、あるいは半端な知識で彼の国に対して不要なバイアスを持っているだけという可能性はあるが)
最近(何か忘れたが)何かの記事で、中国初のITビジネスがGAFAクラスまでの成功を収めることはないだろう、なぜならBATのような中国IT/Webジャイアントには背後に国家による(時に理不尽で不気味な)コントロールの影を感じさせ、それが一部のユーザーを遠ざけるからだとという言説を読んだ。私もそうだと思う。
結局、国家による過度なコントロールは(一定の?)効率性と引き換えに、ソフトパワーを損なうのだ。裏をかえせば、明治以降日本が(一時期を除いて培ってきた)自由な価値観に基づくソフトパワーを活かす道こそ、日本の採るべき戦略なのかなと最近感じることが多い。
特に、毎回香港に行って思うのは、日本のソフトパワーの強さだ。ファッション、食、化粧品、生活雑貨といった分野での進出ぶりは目をみはるものがある。ローテクで、消費者が価値観で商品選択をする分野だ。たとえばこないだは頭髪ボリュームアップをうたう男性向けシャンプーの広告「男立ち」というキャッチフレーズがそのまま使われていた。「ち」の意味がわからなくても、それが日本語で、日本メーカーの製品であることにマーケティング上の意味があるということ。
ニュアンスは多少違うが、今日本の一部の層が北欧なんかに感じているような、「感度の高いライフスタイルへの憧れ」みたいな感じを、香港の一部の消費者が日本に対して持ってくれている印象がある。
では、仮に今の日本が強いソフトパワーを持っているとして、それを中国が近い将来持てるかといえば、まずないだろう。アジアだと韓国、台湾ならありえると思うが、中国は構造的に難しい。
なぜなら、この手の、「国の持つソフトパワー」と表現の自由には密接な関係があるからだ。表現の自由、芸術と言い換えてもいいが、アート、音楽、文学、ファッションといった領域は、進歩のために常に現状への批判精神が必要となる。国の体制批判というのはその最もポピュラーな形だ。
「何かを批判するとき、その批判をした人に対して身体的危害を加えられない」というのは表現の自由を担保する上での超基本的な前提条件と言える。(その上で何を表現するのが倫理的なのかを議論する必要はあるとしても)
この、表現とか芸術の前衛的な一番上流がダメになると、結局ビジネスにつながるような下流もダメになる。ファッションがわかりやすいが、最も前衛的なコレクションブランドは一般人には理解が難しいが、彼らはもう少しわかり安いデザイナーズブランド、少しビジネスになるレイヤーに影響をおよぼし、そのレイヤーが次の最も金になる大衆向けブランドのレイヤーに影響を及ぼす。今の中国からはコムデギャルソンは出てこないだろう。
最近、中国で過去最大の予算をかけた映画があまりに低調な動員のため即打ち切りになるというニュースがあった。直接的な理由かはわからないが、当局から内容についてのリクエストがあったという。この話も同じ構造に見える。
「だから日本は素晴らしい。世界の人たちが憧れる日本」みたいなことを主張したいわけではなく、IT系ハイテク分野で負けつつあるようにおける今の状況で、日本が何を強みとできうるのかを考えないといけないな、と思って書き連ねた。
コンフリクトマネジメントのコツ?
採用をしていると年上・ 役職も上の人たちと割合フラットな立場でMTGをしたりチームを組んで面接をする機会がままあるのだが、 当然採用についての意見が食い違うことは多いです。
で、色々観察していると、その意見の食い違い(コンフリクト) をうまくマネージしているリーダーと、そうではないリーダーがいることに気づく。 よく言われるように、やはりコンフリクトマネジメントはソフトスキルなのです。
ではそれが上手な人と下手な人、 いいかえれば意見対立をより少ないストレスで通過していける人の違いはどこにあるのか、最近あるリーダーと接していて感じることがあったのでまとめてみました。
①リスペクトの有無
相手の意見を尊重していることを十分示せていない。 少なくとも一度反論せずに受容(プラス、できれば共感)する、その上で自分の意見を述べる。
ソフトスキルの一種ではあるのですが、 一方でここには前提として価値観の多様性に対する根本的な理解があるかどうかが鍵に思え、 実はきちんと習得するためには時間がかかるように思います。
②意思決定プロセスと役割期待へのギャップの有無
意思決定プロセスによって、 リーダーがメンバーに求める役割も多様化しますが、このプロセスと期待値について誤解があると双方にストレスが生じ る。
1 トップダウンで決定するし、メンバーからのインプットも求めない
2 最終的にはトップダウンで決定するが、 メンバーからのインプットを求め参考にしたうえで決める
3 相手やグループに決定を委ねるが、リーダーも意見を述べる (この時リーダーが自分の影響力を理解・ 考慮できていないとこれもストレスのもとになる)
4 相手やグループに決定を委ねる。 リーダーはファシリテーションなりオブザーブなりに徹する
特に、私の会社のようにフラットっぽい組織だと、往々にして
( a)2なのか3なのかが整理されておらず共有もされていないことで誤解が生じている
(b)リーダーは3だとうたっているが、 実際は限りなく2に近い状態になっている
…などなどの状態が発生しがちで、 メンバーとしてはスッキリしない感情を抱えたたまま自分の意見がひっくり返されるという経験をしてしまう。
以前リーダーシップのコミュニケーションに関する研修で、「 プロセスの話をしなさい」と口酸っぱく言われたものだが、 意思決定プロセスについてもそこについての合意があれば、意外とmemberとしては納得できる・ あきらめがつく場面も多いのではないかと思います。
私自身、昔NPOに所属していた時、あるリーダーが「今から○○について皆から意見をもらいます。ただ色々な意見を聞いた上で最終的な意思決定は自分でします」と明言されてミーティングが始まったことがあって、その時の結論にはとてもすっきりした気持ちで受け入れることができました。
今にして思えば、これぞ「プロセスについて話す」という良い事例だったんでしょう。
で、色々観察していると、その意見の食い違い(コンフリクト)
ではそれが上手な人と下手な人、
①リスペクトの有無
相手の意見を尊重していることを十分示せていない。
ソフトスキルの一種ではあるのですが、
②意思決定プロセスと役割期待へのギャップの有無
意思決定プロセスによって、
1 トップダウンで決定するし、メンバーからのインプットも求めない
2 最終的にはトップダウンで決定するが、
3 相手やグループに決定を委ねるが、リーダーも意見を述べる (この時リーダーが自分の影響力を理解・
4 相手やグループに決定を委ねる。
特に、私の会社のようにフラットっぽい組織だと、往々にして
(
(b)リーダーは3だとうたっているが、
…などなどの状態が発生しがちで、
以前リーダーシップのコミュニケーションに関する研修で、「
私自身、昔NPOに所属していた時、あるリーダーが「今から○○について皆から意見をもらいます。ただ色々な意見を聞いた上で最終的な意思決定は自分でします」と明言されてミーティングが始まったことがあって、その時の結論にはとてもすっきりした気持ちで受け入れることができました。
今にして思えば、これぞ「プロセスについて話す」という良い事例だったんでしょう。
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