統一球の影響でますますスモールボール=日本の野球、になりそうだなぁと思っていたんですが、そもそもこのイコール関係はなんでなのか、気になってWikipediaで調べてみたまとめです。
大リーグでのトレンド
~1910年代 低反発球が使用されていたため長打がでづらく、全チームがスモールボールを基本戦術に採用
1920年代~ ボールの反発力アップ→ビッグボール主流に移行
1950年代 ドジャースがスモールボールを洗練させたスタイルを完成 ただし主流はビッグボール
2000年代 ステロイド規制+エンゼルスドジャース育ちで伝統的なドジャーススタイルを身につけ首脳陣の元スモールボール戦略を効果的に使って脚光を浴びる ただし基本的な打高投低は変わらず、ビッグボール派の方がマジョリティー 2000年代前半時点でのマネーボール理論も大枠ではビッグボールの範疇であり、セイバーメトリクス等の統計手法に基づいた戦術と費用対効果の高い編成を行う点が従来と異なる
日本でのトレンド
①V9ジャイアンツ→V5ライオンズがいずれも基本的にはスモールボールを採用
②長打の出にくいアマチュア(特に高校野球)かつトーナメント制度の元では確実に点を取れる戦略が有効(ビッグボールは試合数を多数行えば総獲得点数は多くなるが、統計的に全然点が取れない試合があってもしょうがないことを前提としているため勝ち抜き戦においては採用しづらい)→スモールボール的価値観の元で選手が育ち、観客もそれをスタンダードとして観戦する
③結果スモールボール偏重主義が国民的に根付いている
2011/11/12
2011/11/01
「アンダーグラウンド」感想①
サリン事件に関するインタビューの本です。書評ではなく単なる感想を。
特に巻末、「目じるしのない悪夢」を読んでの感想①。
筆者は「(3)譲り渡された自我、与えられた物語」で、社会システムは「自律的パワープロセス獲得を圧迫」するということを書いています。分かりにくいですが、ざっくり言うと
そして、麻原が行ったのは、「アンバランスな自律的パワープロセスの獲得」という行為をシステム化し、そのシステムを共有体験として、世間に広めていったのだと定義づけています。自由に生きちゃっていいよ、そのための方法はこれだからやってみなよという感じでしょうか。
そこで、信者は自我をそのシステムに預け、積極的にコントロールされることで、「疑似自律的なパワープロセスを受け取る」。すなわち、そのシステムが代理人として自律的パワープロセス獲得闘争をしてくれるから、自分もその闘争に参加しているような気になれる。でも「実際に戦っているのは麻原彰晃ただ一人」。なんかゲーセンの体感型ゲームみたいですね。
恐らくここからが重要で、
ここで、作者は一つの3段論法を用いて、「自我」と「物語」の必要性を訴えています。
自我を失えば、「あなたは自分という一貫した物語をも喪失してしまう。」「しかし人は物語なしに長く生きていくことはできない」。物語は制度(システム)を超えて他者と共時体験を行うためのファクターだからです。
整理すると、以下のようになるかと思います。
①自我の喪失
↓
②物語の喪失
↓
(人間は社会的生き物。「この世界で個であることの孤独」を癒すためには「物語」を通して他者と共時体験を持つことが必要)
↓
③(結果、物語を失った時)生きることは困難になる
上記の流れが、教団と信者の間で以下のように置き換わります。
①信者は自我を預け、疑似自我を獲得する
↓
②麻原の描く「ジャンクな物語」を獲得する(共時体験を得る手段を獲得する)
↓
③生き続けることが(少なくとも表面上は)可能となる
(一時広告で見かけた、ネトゲ上で大活躍していて現実ダメダメな人に似ている気がする。)
この、麻原の描く物語は、荒唐無稽で、「こちら側の人間」から見れば滑稽だとしても、少なくともそれは「何かのために血にまみれて闘う攻撃的な物語」であり、しかもそれを欲する人間が多くいた。
作者はここに至り、二つの問いを投げかけています。
(A)それに対して、我々はどんな有効な物語を持ち出すことができるだろう?
(B)あなたの物語は本当にあなたの物語なのか?我々は(意識的/無意識的に)自我をシステムに差出し、代償としての物語をうけとっていないか?
作中で、(A)については模索中の印象がありますし、あるいはその後の作品自体が作者なりの答え、ないしは仮説の提示なのかもしれません。(B)については、作者自身と読者への問いかけであり、YesともNoとも書かれていません。しかし、作者には麻原に傾倒していった「あちら側の人間」と正常な「こちら側の人間」という単純な二元論に対する疑問があるように感じます。
上記二つの問いを考える上で、私はなぜバブル崩壊少し前に誕生したこの団体が、80年代後半から90年代前半にかけて膨張していったのかを考えることが必要だと思います。
80年代中頃、日本社会全体が、戦後にかけて描いてきた物語(ビジョン)を達成してしまった。そしてその後、我々がどうすべきか、どうなるべきかを語る語り手がいなかった。この、物語の隙間を埋めたのが麻原だったのではないでしょうか。
だとすれば、オウムに自己を預けてしまった人たちと、戦後日本において、日本の国家のもつ様々なシステム(それは、あるいは一般企業や官僚組織かもしれないし「東京オリンピック」といったプロジェクトかもしれない)に自我を預け、国の提示する「一億層中流」や「先進国への仲間入り」といったビジョン、あるいは所属する企業の提示する「東証一部への上場」等などといった物語を受け取ってしまっている人と、その構造は似通ったものかもしれません。これはちょっと怖い。
システムに自己を預け、代償に擬似的な物語を獲得する。
こういう時日本史をちゃんと勉強していないのは良くないと実感します。ただ私が思うのは、いずれにしてもそろそろ国や企業やカルト団体といった「システム」がくれる物語に依存することを止めるべき時なのではないかということです。自らが書き手となり、社会とのバランスの中でしかるべき物語を紡ぐ。システム、というか所属する組織と自分を同一視するのは良くない。
ちなみに私は、作者のこれ以降の小説は読んだ経験がありませんが、上記(A)への回答or仮説、(B)へのヒント、そういったものなのではないかと想像します。
(でも残念ながら私はこの作者の長いレトリックやストーリー展開の遅さが苦手なので読む気がおきない。あぁ・・)
特に巻末、「目じるしのない悪夢」を読んでの感想①。
筆者は「(3)譲り渡された自我、与えられた物語」で、社会システムは「自律的パワープロセス獲得を圧迫」するということを書いています。分かりにくいですが、ざっくり言うと
“自分自身の価値を掲げて、自由な生き方をしたいと思っても、世間がなかなかそれを許してくれない”という風に作者は表現してます。だから、十分に発達した自我は、社会システムとの歩み寄りの中で、個人と社会との間でバランスを取ろうとするし、それができる(=「自我の客体化」)。このバランスを取らずに自律的パワープロセスを無理やり獲得しようとすると社会と軋轢が生じるということになります。
そして、麻原が行ったのは、「アンバランスな自律的パワープロセスの獲得」という行為をシステム化し、そのシステムを共有体験として、世間に広めていったのだと定義づけています。自由に生きちゃっていいよ、そのための方法はこれだからやってみなよという感じでしょうか。
そこで、信者は自我をそのシステムに預け、積極的にコントロールされることで、「疑似自律的なパワープロセスを受け取る」。すなわち、そのシステムが代理人として自律的パワープロセス獲得闘争をしてくれるから、自分もその闘争に参加しているような気になれる。でも「実際に戦っているのは麻原彰晃ただ一人」。なんかゲーセンの体感型ゲームみたいですね。
恐らくここからが重要で、
ここで、作者は一つの3段論法を用いて、「自我」と「物語」の必要性を訴えています。
自我を失えば、「あなたは自分という一貫した物語をも喪失してしまう。」「しかし人は物語なしに長く生きていくことはできない」。物語は制度(システム)を超えて他者と共時体験を行うためのファクターだからです。
整理すると、以下のようになるかと思います。
①自我の喪失
↓
②物語の喪失
↓
(人間は社会的生き物。「この世界で個であることの孤独」を癒すためには「物語」を通して他者と共時体験を持つことが必要)
↓
③(結果、物語を失った時)生きることは困難になる
上記の流れが、教団と信者の間で以下のように置き換わります。
①信者は自我を預け、疑似自我を獲得する
↓
②麻原の描く「ジャンクな物語」を獲得する(共時体験を得る手段を獲得する)
↓
③生き続けることが(少なくとも表面上は)可能となる
(一時広告で見かけた、ネトゲ上で大活躍していて現実ダメダメな人に似ている気がする。)
この、麻原の描く物語は、荒唐無稽で、「こちら側の人間」から見れば滑稽だとしても、少なくともそれは「何かのために血にまみれて闘う攻撃的な物語」であり、しかもそれを欲する人間が多くいた。
作者はここに至り、二つの問いを投げかけています。
(A)それに対して、我々はどんな有効な物語を持ち出すことができるだろう?
(B)あなたの物語は本当にあなたの物語なのか?我々は(意識的/無意識的に)自我をシステムに差出し、代償としての物語をうけとっていないか?
作中で、(A)については模索中の印象がありますし、あるいはその後の作品自体が作者なりの答え、ないしは仮説の提示なのかもしれません。(B)については、作者自身と読者への問いかけであり、YesともNoとも書かれていません。しかし、作者には麻原に傾倒していった「あちら側の人間」と正常な「こちら側の人間」という単純な二元論に対する疑問があるように感じます。
上記二つの問いを考える上で、私はなぜバブル崩壊少し前に誕生したこの団体が、80年代後半から90年代前半にかけて膨張していったのかを考えることが必要だと思います。
80年代中頃、日本社会全体が、戦後にかけて描いてきた物語(ビジョン)を達成してしまった。そしてその後、我々がどうすべきか、どうなるべきかを語る語り手がいなかった。この、物語の隙間を埋めたのが麻原だったのではないでしょうか。
だとすれば、オウムに自己を預けてしまった人たちと、戦後日本において、日本の国家のもつ様々なシステム(それは、あるいは一般企業や官僚組織かもしれないし「東京オリンピック」といったプロジェクトかもしれない)に自我を預け、国の提示する「一億層中流」や「先進国への仲間入り」といったビジョン、あるいは所属する企業の提示する「東証一部への上場」等などといった物語を受け取ってしまっている人と、その構造は似通ったものかもしれません。これはちょっと怖い。
システムに自己を預け、代償に擬似的な物語を獲得する。
ところが、80年代の中頃までに、日本という国、あるいはそれに内包される様々なシステムは語るべき物語を語り終えてしまった。先進国になったし大企業の成長は概ね飽和に達した。その頃、団体として形をなした教団は、90年前後には信者の数が1万人を超えていたといいます。89年にバブルが崩壊し、物語がなくなり、平べったくて閉塞的な時代。
個人的に、閉塞感は95年の阪神大震災とサリン事件を経てさらに強まった感覚があります。むしろ、バブル崩壊後、物語が雲散霧消し、ただぼんやりしていた。それが90年代前半で、95年を経て本格的な閉塞へと向かっていったというのが、私が肌で感じた90年代です。印象は人によって異なるかもしれません。
ただ重要なのは、オウムは解体されたが物語の欠如という根源的な問題は何も解決していない。2001年に小泉政権が誕生し、経済面における応急処置を強力にやってのけた。しかし、私は、彼は物語の語り手ではなかったような印象があります。彼は戦略なりディレクションなりは卓越した弁舌で語った。しかし、応急処置が済んだところでさっとトップの座を降りてしまった。その後何人もの人がトップになり、ある人は物語を語ったが政治的に失敗した。ある人は語った物語自体が世間にあまり受け入れられなかった。ある人はそもそも語ることなく応急処置が済んだ経済を維持することに奔走した。etc.
結局、我々は我々としてどこに向かうべきのか、その合意形成のための足掛かりさえつかめていないのではないでしょうか。
では逆に、多くの人が、本当に自分の物語を持っていたのは、いったいいつなのでしょうか。それは戦後すぐでしょうか。あるいは江戸時代の初期でしょうか。分かりません。
こういう時日本史をちゃんと勉強していないのは良くないと実感します。ただ私が思うのは、いずれにしてもそろそろ国や企業やカルト団体といった「システム」がくれる物語に依存することを止めるべき時なのではないかということです。自らが書き手となり、社会とのバランスの中でしかるべき物語を紡ぐ。システム、というか所属する組織と自分を同一視するのは良くない。
ちなみに私は、作者のこれ以降の小説は読んだ経験がありませんが、上記(A)への回答or仮説、(B)へのヒント、そういったものなのではないかと想像します。
(でも残念ながら私はこの作者の長いレトリックやストーリー展開の遅さが苦手なので読む気がおきない。あぁ・・)
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