一方でしばしば論点になるのはAIは人の雇用を奪うのか、あるいはAIに代替されない仕事はなんあのか(というかそもそもあるのか)、という点でしょう。
私の仕事である採用の領域についても、例えば面接のアレンジ、Open positionの管理、応募履歴の入力といった定型・ルーティンの仕事は早々にAIに置換されうるように思います。もっというと書類選考だってレジュメをデータマイニングする技術が確立されれば代替できてしまうはず。所詮リクルーターがやっている書類選考って、意外と特定のキーワード探しだったりするので(臨床開発のポジション→プロトコール、みたいな)。さらにさらに言えば、面接だって主観が入る人間の面接よりAIの方が適切なジャッジができるかもしれません。
こういうことを考え出すとキリがなくなって、あらゆる仕事は代替できるのか、という哲学的な問いに突き当たる。
このテーマについてはきっと多くの賢人方々が考えているであろうことなので私がああだこうだいってもしょうがないのですが、たぶん人間に残される/残されないのキーになるのは、「背景と文脈」なんじゃないかと思います。
例えば、充分にキャッチーな音楽をAIが作れるということが一時話題になりましたが。
http://www.lifehacker.jp/2016/10/161016ai_wrote_popsong.html
これは職業作曲家の雇用を奪うかもしれないですが、私はAIが作った音楽をわざわざ買おうとは思いません。そこに背景と文脈がないからです。私は「歌舞伎町の女王」という曲を聴くとき福岡で育って色々な上京してきた女の子が新宿のネオン街を目にしてどんな感慨を抱いたのだろうということを妄想したいし、千葉の少年時代から幼馴染で仲良しの4人組の男子が奏でる友情の歌を聞きたいわけで、それはその背景と文脈自体に価値を感じるからです。
同じ理由で、フランスの高級ワインのニーズがなくなることもないだろうし(たとえ完全に同じ味を埼玉の工場で再現できたとしても)、性風俗産業が消えることもないだろうと思います。
AI時代に需要があり続ける企業ってどういうものなのか?色々考えるんですが、一つはこういう背景・文脈が愛されている会社なんじゃないかと思います。例えば、ソーシャルビジネスとして有名なマザーハウスは、確かに間違いなく製品自体もいいと思うんですけど(店にいくたびそう思う)、同時にやはり途上国に対する貢献であるとか創業者の山口さんのド根性ストーリーとか、そういう文脈・背景が購買を後押してしているのは間違いない。
ということで、AI時代に価値を生みだすため(そして仕事を代替されないため)には、背景・文脈がカギなんじゃないかという説、でした。