2012/12/17

今のフラットの話

我が住居のエキサイティングな話。
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■住人が皆洗った皿を放置するから台所は大体常に汚い。時々悪臭を放っている。我がフラットには一応、女子も住んでいるが気にする気配もなく。日本の一般的衛生観念で言うとかなり劣悪。

■こないだネズミを初めて見た(!!)。可愛いもんかと思っていたが、思った以上にキモかった。色々観察して分かったが、台所の奥の見えない所、手の届かない所を主な寝床としていて、時々食料を求めて出てくる模様。

■ギリシャ人の友達にネズミのことを話したら「即抹殺しろ、君が見たのは子供ネズミだから親がいるはず。早めに駆除しないとネズミ算で増えるよ」、と言われた。が、住人はやはり気にしていない模様。女の子は、
「日本はネズミいないの?いいね~」
とか言っているし、ルームメイトのスロバキア人は、
「慣れたらペットみたいなもんだよね。さて俺そろそろ寝るよ。枕の下に住んでるネズミに挨拶してくる」
とかいうし。隣部屋のスペイン人は
「俺いつもケリ入れて殺そうとしてるんだけど逃げちゃうんだよね」
とかいうし。それ殺したら遺体どうすんですか。

■ある日部屋で一人でごろごろしていたら、誰もいないはずの部屋で、何かガサゴソと漁る音が聞こえる。みるとルームメイトのコロンビア人が食べた後のKFCのゴミを床に放置していて、それが微妙に振動している。さすがに部屋に入ってくるのは許さんと思って電気をつけたら即逃げた。ゴミは私が捨てました。

■ある日寝てたら男女二人の談笑が聞こえてきて、その声がでかくて目が覚めた。キッチンでしゃべっている模様。時計を見ると朝の4時。我が部屋はキッチンの目の前。うるせーなぁと思いながら寝直していたら会話じゃない何かの音が聞こえてきた。キッチンでなさっている模様。というか、悪臭放つキッチンでネズミと戯れながらのXXXなんてロマンのかけらもないと思うのですがいかがでしょうか。うるせーな死ね死ね死ねと思いながら耳をふさいで寝てたら、何とウチの部屋に入ってきた。スロバキア人の彼でした。お前だったんかい。

2012/12/12

旧ユーゴ旅行7

ザグレブに戻って、学校の課題をやったり鋭気を養ったりという名目で2泊(ザグレブはホステルに恵まれたこともありそういう目的での滞在には最適だった。というか今私が住んでいる家よりよほど快適)。10日前には見事に黄葉していたザグレブの街路樹も素っ裸になっていて季節の流れを感じました。

その後バスで帰りの飛行機の出るトリエステ方面に向かいました。途中、山岳地帯を抜けるのですがまさかの大雪状態で驚愕。が、さらに1時間も進むと再び平地に出て、そこから先は元の晩秋。一瞬冬を先取りしてしまった。

途中でクロアチアの海沿いの街、ロヴィニに2泊。ロヴィニには以下のブログ記事にモロ影響されて行きました。
http://travelhack.jp/2012/10/19/rovinj-croatia/

とても綺麗なところで、行った甲斐はあったもののオフシーズン過ぎて宿がやってなくてつらかった。観光というより、夏に長期滞在型のバケーションを楽しむ場所のようで、YHの類は一切なく、ホテルもごく限られていて、その代り貸しアパートメントが無数にありました。貸しアパートメントは値切って一泊25ユーロ。

外国人観光客ほぼ皆無、街もガラガラでかつ老人ばかり、閑散としていてのどかと言えばのどか、つまらないといえばつまらない、そんな感じでした。私も特に何をするでなく、適当にお茶したり散歩したりレポートを多少進めたりとウダウダ過ごしました。

旅行も2週間になろうというところでトリエステ行にバスに乗車。3時間程であっという間に着。途中、スロベニアを通過しましたが、短すぎて良く分かりませんでした。なおイタリア/スロベニア間はパスポートチェック無し。

トリエステでクラスメイト等への土産を購入して、飛行機にのり、夕方ロンドン着。毎度安定の、愛想最悪な入国審査を経て2週間ぶりのロンドン。特に感慨無し。でもやはり色々勝手がわかっている分安心できます。

2012/12/05

旧ユーゴ旅行6

今回は電車で、15:15発、10時過ぎ着、20ユーロ程。長距離列車はあまり揺れないのでこうしてPCをいじったり本を読んだりできるのでいいです(私はバスで本を読むと気持ちが悪くなる)。バックパッカーも電車派とバス派に分かれますが(あと「チャリダー」と呼ばれる自転車派もある)、私は電車派です。


沢木耕太郎の「深夜特急」に出てきた引用句で、「老いて旅するは賢明ではない」という言葉があります。たしか。
その心は、旅は基本的に困難である。老いもまた困難である。二つ同時に別の困難に相対するのはオススメできない、ということ。

今回、無計画旅行を決行してみてつくづく思うのは、こういうバックパッカー旅行をするのは、恐らく留学を終えるまでにあと1回か2回して、それで最後になるだろうな、ということ。若いころは、無計画さで生じるロスも、ドミトリーの相部屋の中で気を遣いあう事で消耗する気力も、全て体力でカバーできます。

でもその体力にガタがきているというか、どんなに運動したり筋トレしたりしても20代前半までのピークを越えることはできないような気がするのです。方向性が変わってきていて、向上より維持に主眼が移るというか。

同時に、結構、あちこち行ったという一定の満足感を得つつもあります。

大学時代にもう少しいっとけばよかったとは思うものの、東南アジアを3週間、ゼミの研修旅行で中東をひと月+北アフリカを2週間、トルコ1週間、西欧3週間、今回東欧を2週間と旅行して、全部合算すると4週間位。細かいのも含めると多分半年を超えるでしょう。で、後は死ぬまでにちょこちょこともう少しお金をかける普通の旅行をして、全部合計して1年くらいになればいいかなと。

で、最後死ぬ間際に「合計1年以上分、旅行した」と思えば、多分その点についてはそんなに後悔しない気がします。自分的には。

ザグレブ初日、ホステルに変なアルゼンチン人のおっさんが泊まってました。英語は「完全に」話せず、でも全く構わずに誰かれ構わずスペイン語で話しかける。日中はランニングと短パンで過ごし、なぜかウィンストン・チャーチルの伝記を読んでいる(アルゼンチン人ってフォークランド紛争以来イギリス嫌いが多いんじゃないのか?)。夜は人が寝ているにも関わらずスマートフォンのスピーカー爆音でヘヴィ・ロックを流しながら部屋に入ってきてうるさいし。でも、なんとなく人は良さそう。

彼はきっとじじいになってもバックパックのきままな一人旅が似合うんだろうな、とか思いました。

旧ユーゴ旅行5


ネットの使えない宿に滞在していたため書き溜めてしまいました。
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モンテネグロ。

コトルの何が美しいのかということを考えたんですけど。コトルの位置する場所というのは、地中海という内海の、アドリア海という内海の、コトル湾という入り江の、一番奥まったところにある小さな湾に面しています。内海の内海の湾の湾ということで、水面は全然波が立ちません。波が立たないと、山と、その山に寄り添うようにして存在している小さな村々が、そのまま水面に反射しているのです。

コトル滞在2日目、バスの時間まで山の上の砦を目指して山登りしたのですが、文字通りの絶景でした。モンテネグロは「黒い山」を意味するらしいですが、コトル周辺は石灰岩なのか峰は白々としていて、鬱蒼とした感じは受けず、見ていて気持ちが明るくなりました。

旧市街はこじんまりとしていて、直径は歩いて5分の距離なのですが、道が入り組み過ぎていて完全に迷宮でした。2日滞在していても全然道を覚えられず。近くのドゥブロブニクに押されて地味な世界遺産ですが、訪れる価値は大いにあると思います。

15:50コトル発、セルビアの首都ベオグラード行のバスに乗車。モンテネグロの山道をくねくね進み、翌朝5時過ぎ、ベオグラード着。

バスターミナル近くの鉄道駅の広告を見て6時前の早朝にホステルに辿り着きました。そこは2人の夫婦経営の小さなホステルで、2部屋6ベッド。聞けば6月に開いたばかりとのこと。レセプションがあるでもなく、奥さんは寝起き眼でしたが快く部屋に入れてくれました。ありがたや。一泊11ユーロ。


それからしばらく爆睡して昼頃目覚めると、ヘンな訛った感じの英語をしゃべるオッサンの声が聞こえてきました。Skypeで会話している模様。

ホステルの奥の台所で水を飲んでいると、さっきSkypeでしゃべっていたオッサンが来ました。オッサンはマケドニア人の両親を持つアメリカ人とのことでした。

で、胸くそ悪いので大分省略しますが、結論から言うと、そのオッサンと1日半一緒にベオグラードを周り、最後に150ユーロをだましとられました。

そのクソ野郎は「強盗に身ぐるみ剥がされた」と言って2週間前にホステルに転がり込み、部屋賃も払わずに滞在していて、ホステルのオーナー夫妻も2週間分の部屋賃を踏み倒されたとのこと。ホステルの人達もかなり人が良いというかなんというか。

警察も呼びましたが警察は私に対しては「だまし取られた私が悪い」、オーナー夫妻には「家賃を取らずに滞在させてた彼等が悪い」の一点張りで、5分で帰って行きました。あー警察がクソな国の警察ってこうだよな、と思いながらその時点で150ユーロはあきらめました。

で、達観した気持ちで茶を飲み本を読んでいると、オーナーのダンナさんが犬の散歩に誘ってくれました。夜のベオグラードはバルカンの他の都市より活気があり、不思議な魅力がありました。ナイトライフの充実度で名を馳せている街だけあり、あちこちからクラブから漏れる重低音が聞こえてきました。

翌日、クソ野郎のパスポートのコピーを持って米国大使館にも行きましたが、あまり具体的なアクションに動く気配は感じられませんでした。私自身は自分の金はともかく、更なる犯罪を防止しようというささやかな義務感から大使館に行ったのですが、アメリカもこんなもんかとがっかりして帰りました。

今でも覚えているのが、タイに行った時のこと。ノーンカーイというラオス国境沿いの小さな村の小さな屋台で、夕食にラーメンを食べていたところ、地元の女子中学生(高校生?)2人に話しかけられました。彼女達は地元で日本語を勉強しているとのことで、30分位日本語を教えたり、なんだかんだと話したあと、ウチに遊びに来ないかと誘われました。家族ぐるみでもてなしますよと。

私はバンコク・アユタヤと余りに多くの人がぼったくろうとしてくるために完全に疑心暗鬼と化していて、右脳さんは「この子達は安全だ」と言っていたのですが左脳さんの強固な反対に押し切られ、結局「気持ちは有難いが、日本の男子は初対面の女子の家にはいかないものなのだ」とか適当な事を言って帰りました。

でも今思うと、タイの小村の、深いところを覗き込む大きなチャンスを逃したなと思います。リスクはあったかもしれないですが、行っていれば普通の旅行やツアー旅行では得られない体験ができたかもしれないと。同時に、恐らく純粋な親切心からのご厚意を疑った自分が残念になりました。

で、今回起こった事はその逆だったわけです。直観的には―初対面でもそのあとでも―常に「コイツなんか怪しい」に思っていたのです。にも関わらず、頭の中でごちゃごちゃと色々理由をつけて信じることにしたのですが、見事に2万円程を失ってしまい、今は疑いの海に沈んでおります。

だまされたりボッタクリにあったりしないだけの知恵や理性と、ある程度直観に従って人を信じられる純真をバランス良くもてるといいのな、とそんなことを思いながら、現在再びザグレブに向かって移動中。