2012/09/29

イギリス英語①

グロービッシュ(Global+English)ということばがあるが、私も英語は基本的に伝えられて理解できればいいと思っています。日本語なまりの英語でも、文法がある程度ちゃんとしていて(=意図を正しく伝えられる)、相手がヒアリングできればそれでいい。

しかし、イギリスで大学院生をしていく上で、当初私にとってイギリス英語を理解するということは死活問題でした。TOEFL中心に勉強していたため、耳が「アメリカ英語耳」になっていて、教授が何を言ってるのかわからない。生活でも色々と不便。

で、いわゆるイギリス英語にどんな特徴があるか調べてみると色々興味深いことが分かりました。

私はもともと「Can」とか「Either」とかのアクセントあるいはセンテンスの強弱等の問題だけだと思っていたのですが大間違い。そして、色々調べるとイギリス人の気質が透けてみえるようで、結構面白い。

全体的に、米語に比べ遠回しな表現が好まれるようです。付加疑問文(~じゃない?)の多用、Would/Should等の助動詞の多用など。

(そういえばGMATを勉強していた時、
「米語を標準とするGMATでは、
  • I suggested that he go there.
が正しいとされるがイギリス英語だと
  • I suggested that he should go there.
が正しい」
という様な事をやった覚えがある)

あとは比較的、敬語の概念がよりしっかりしている印象。

もう一つ、面白いのがそもそも同じ意味のものを指す単語が違ったりする点。ぱっと思いつくところだと、
  • Flat (Apartmentは余り使わない)
  • Petro (ガソリン。米語だとGas)
  • Jumper (イギリスでは長袖セーターの類をさす模様)
他にも結構いろいろあります。“Cheers(ありがとう)”も辞書によればイギリス英語らしい。

そしてイギリス人の面白い点は、たとえ日本人のヘタクソ英語でも、少しでもアメリカ訛りの香りを嗅ぎつけると、それを指摘せずにはいられないということ(どっちでもいいじゃん・・)。

2012/09/28

ゲストがやってきた話

日本から大事なゲストお二人がはるばるロンドンまで遊びにきてくれたので、1週間にわたりガイド役に徹していました(途中、運悪く会計の試験が入ってしまい徹夜するはめになって死ぬかと思った)。

さて成田でゲスト二人で変に盛り上がってしまったらしく、「滞在最終日前日に日帰りでパリに行きたい」という無茶なオーダーが。しかも出発2時間前。せめてあと1か月早く言えよ。

とはいえ、日本人にとっての長期休暇がいかに貴重なものかは身をもってしっていたし、はるばる英国まで来る機会はそうそうないだろうから、最大限希望を叶えたいと思ってゲストの要望を詰め込めるだけ詰め込む形で旅程を組みました。まさかのパリ日帰り弾丸トラベル。

で、感想ですが、やっぱりそういうゆとりのない旅行はあまりするものじゃないなと。コスパ悪いし、やはり海外だと思った以上に疲労する。その疲労がミスや隙を生むので結構怖い。自分自身ガイド的にかなり致命的にミスってしまったし、ゲスト二人が疲れて地下鉄で眠りこけている間は終始、変な輩が寄ってこないか目を光らせるハメになったり。まぁ結果的に二人が満足してくれれば本当に何でもいいのだけど。どうなんでしょう。

とにかく、海外旅行はゆとりがありすぎるくらいで、ちょうどいい。それが今回の教訓。ゲストハウスなんかで他の国の旅行者を見ていても感じますが、日本人はちょっと移動が多すぎるというか、「一粒で二度おいしい」系の旅行を好みすぎる傾向がある。幕の内弁当的でも言うか。これって日本人の遺伝子レベルの性分なのでしょうか、それとも長期休暇の少なさがそうさせているのでしょうか。

個人的には3年ぶりにパリを訪れて、ロンドンと対比できたのが面白かった。相変わらずパリは外食費が尋常じゃなく高かったし、ファーストフード店もあまりない。彼らの食に対する意識の高さは本当に凄いと思う。

一方で、自分自身、普段はぶつくさと文句ばかり言い、「変にイギリスかぶれ」の気持ち悪い日本人に冷ややかな視線をあびせていましたが、何だかんだでロンドン(あるいはイギリス)は結構、欧米諸国の中では肌に合うなと感じた。理屈というよりは感覚的に。いずれ別のエントリーで書きたいですが、アメリカやフランスより、特に文化の面で「好きだな」「合うな」と感じる要素が多い感じ。もしパリとロンドン、どちらか好きな方に住めるとなったら私はロンドンがいいな、とか。そんなわけで自分が今住んでいる場所を客観視できたのは良かった。

オリンピック雑感②

前回の続きです。

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■もうひとつ、考えさせられたのは、オリンピックの開催は、本当に(書くのも恥ずかしい響きだが)「世界平和」に資しているのかという点。日本のお隣の国を眺めるまでもなく、オリンピックはナショナリズムを刺激する。その意味ではむしろ「世界を分ける」方向に作用しているように感じられた。

■大学生のころ、共産党による独裁国家であるベトナムで、歴史に関する博物館を訪れてつくづく感じたが、ナショナリズムは極めて人為的に生み出される面が大きい。国旗、国家、地図、歴史、肖像、偉人にまつわるエピソードなどなど、様々なものがナショナリズムを強化する装置として機能する。で、オリンピックもその機能の一部になり得るのだと改めて思った。

■私自身は感情・心情的にはオリンピックが好きなのだが、日本の隣国とのゴタゴタを見るにつけ、そもそもオリンピックって必要なのかということを考えた。オリンピックの意義って何なのか?

■この問いに対する答えをぐるぐると考えると、オリンピックにはナショナリズムを強化する側面と軟化させる側面があることに気付く。

■そもそも、ナショナリズムそれ自体はある面で必要なものだ。どっかのレゲエシンガーが言ってたみたいに人類が地球に対して愛国心を持てればそれは素晴らしいが、実際はやっぱりリアリティーがない。やはり現状では国家単位での部分最適を目指さざるを得ず、その際その国家に属する個々の人々に主体性や当事者意識を持たせることは必要になる。

■問題はナショナリズムが行き過ぎてしまうことで、どこもかしこも部分最適ばかり追及しはじめると結果として全体に悪影響を及ぼす。排出権取引問題なんかはモロにそんな感じ。このあたりは経営学の組織論と似ている。

■さて一方でオリンピックがナショナリズムを強化するばかりかというと、そんなことはないなと、マラソンを見ながら思った。マラソンのようなシンプルな競技は、選手の大変さが想像しやすいから、応援する側も選手一人一人に感情移入しやすい。色々な国の連中が、走ってきたランナーに対して国籍関係なく応援していた光景は素直にいいなと思った。結局、世界のどこにいこうがだいたい仕事は面倒なもので、休暇は楽しいし、日曜の夜は憂鬱、家事は面倒で、夏の夜風は気持ちがいい、そして42.195キロを走るのは恐ろしく大変なのだ。誰にとっても。そういう想像力をはぐくむ力がオリンピックにはある、ような。


2012/09/17

オリンピック雑感①

オリンピックについて、諸々思うところがあったのでその備忘録です。
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■私にとって「オリンピックを生で見る」というのは実は長野五輪以来、十数年来の願望で、開会式は毎回最初から最後まで見ている。とは言え私が生きている間に日本で再度オリンピックが開催される見込みは(この分だと)あまり高くなさそうで、かつ私がその時見に行ける状況にあるとも限らないため、半ばあきらめ気味であった。

■そんなわけで、たまたま今回オリンピック開催地に、しかも学生の身分で滞在できるというのはラッキーだった。で、嬉々としてあれやこれや見に行き(その直前に欧州のどこかで開催されていたサッカーのユーロカップは逆にTVでも一切見なかった)、本当に素晴らしい思い出になった。

■一方で、オリンピックというのは一度考え出すと止まらない位様々な問題を抱えている。元より「平和の祭典」という脳みそお花畑的キャッチフレーズを鵜呑みにする程ナイーブではないつもりだったが、実際開催地にいて色々目の当たりにして、ちょっと考え込んでしまった。

■期間中、主にネット上で日本の五輪報道にも目を通していたのだが、最も実態と離れているように感じたのは「ロンドン中が大変な盛り上がりを見せている」といった論調の報道。たしかに表面上盛り上がっていたのは間違いなく事実だが、恐らく実際のところはもう少しややこしい。盛り上がっている一部の英国人・外国人と、ほぼ全く関心を持たない人々とに二分されていたというのが実情じゃないかと思っていて、恐らくその断絶具合はかなり深い。

■断絶を生み出している要因は色々あるが、一つは再開発のもたらす功罪。私の住んでいるタワーハムレッツ地区は五輪会場のお膝元といった場所なのだが、主としてこのタワーハムレッツと北側・東側の3地区が再開発の余波にさらされた。ロンドンの住宅価格は昨年対比6%以上上昇しているが、とりわけオリンピックパーク近隣、ストラトフォードは凄まじかったとのこと(※)。大量の住民が家賃を払えなくなったために引っ越しを余儀なくされたり、ホームレスになったりしている。そして、これら東部地域は移民が多く住む地域なのだ。この状況で移民が五輪にどんな気持ちを抱くか?

(※)ロンドンでは(不確かだが)たしか1か月前位の通知で、大家は住人に退去を求める事ができる

■二つ目は、ロンドンすなわちイングランドのオリンピックだということ。ロンドンはイギリスの首都であるため当然イングランド系以外(スコットランド・ウェールズ・北アイルランド系)のイギリス人もたくさん住んでいるが、その中には相当数、独立主義者が含まれている。今回、「Team GB(Great Britain)」の愛称のもと、各競技でイギリス統一チームが結成されたが、サッカーは色々手を尽くしたにも関わらず結局スコットランド不参加となった。イングランド人による「Team GB」の大合唱が、他の連中に「一つの英国」というプロパガンダのように聞こえたとしても不思議ではない。これはちょっと6月のダイヤモンド・ジュビリー(女王即位60周年)の時の状況に似ている。

■他にも、(東京五輪開催に反対する人の論調と同じように)五輪開催自体に懐疑的だった人達、五輪を一部政治家の人気取り制作と見なす人達、メダル獲得目標数達成のための外国人帰化策に反感を感じている人達なんかもいて、そうした人たちの五輪への目線は結構冷めていたように思う。

■開催前に大いに懸念されていた交通トラブルについては、特に大きなものは何も起こらず、地下鉄もたしかに通常より混んではいたが、基本的には平常運転だった。これをロンドンの事前計画の勝利と見なすか、平常運転できるレベルの盛り上がりだったと見なすか。

2012/09/14

オリンピックのボランティア

オリンピックの運営ボランティアの動画を見つけたのでリンク。
見ると分かるのですが、ボランティアの方々がとにかくノリノリで、彼ら自身が楽しんでる様子が伝わってきてとても気持ちがよかった。


他は知らないですが、今回のオリンピックはかなり大量のボランティアスタッフやバイトを動員していて、ウチの大学にもバイトの誘いが来ていた。

ボランティアやバイトの一番の動機は恐らくロンドンという街に対する愛情や誇りなんでしょう。皆さんとにかく親切で、オリンピックというイベント自体がある意味世界に対するロンドンという街のショーケースと化してたところがあると思います。
(普段からこれ位のホスピタリティーを発揮していただきたいものだ)

オリンピック誘致の効用の一つは、住んでいる街に対して住民が誇りを感じる機会を提供できる点にあるのかもしれません。

しかしこの欧米ノリは日本人にはちょっと難しそう。日本がやるなら「おもてなしマインド」全開で勝負って感じでしょうか。

2012/09/13

Second Strike

オリンピックも終わり、パラリンピックも終わり、ノッティングヒル・カーニバルも終わり(行けなかった)、お祭り事が続いていたロンドンもこの先年末まで大きなイベントは無い模様。

うちの学校も、早いもので第2学期の試験期間に突入(そして現在絶賛一夜漬け中)。

9月に入り、ようやく学校の勉強の大きな山も越え、1年の留学生活も残り約半年、すなわち後半戦に入りました。

日々悔いなく過ごしたいものです。

関係ないですが街中で見かけた、オリンピックのマスコットキャラクター↓。



こいつもじきに撤去されてしまうのかと思うと、まぁ寂しくないこともない。

2012/09/09

香港人の話

今更言うまでもなく香港はイギリスと非常に深いつながりがあり、それなりの数の香港人がロンドンにも住んでいるわけですが、その香港でいま「反国民教育」あるいは「反洗脳教育」なる運動が盛り上がっていたりする。
“香港で中国本土と同じような愛国心を養うための「国民教育」への市民の反発が広がっている。9月から一部の小学校で試験導入されたが、学生から高齢者まで幅広い層の市民がデモやハンストに参加。香港政府は態度を軟化させているが、7日夜には全面撤回を求める市民らによる大規模抗議集会が開かれた。
「国民教育」を巡っては、共産党体制の下の中国政府を「進歩的で無私、団結した執政集団」などと礼賛する一方、米国などの多党制民主主義は「政党同士の闘いが人民に災難をもたらす」などと記述した教育指導用冊子の存在が明らかになった。批判が広がり、9日投票の立法会(議会)選挙の最大の争点にも浮上している。
引用元:http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0705G_X00C12A9FF2000/

さて、ちょっと妙な縁で知り合った香港人女性のジェリーという知人がいて、彼女に誘われて在ロンドン香港人による「反国民教育」の集会に行ってきたわけです。

当然かなり政治色の強い類のイベントであり、本来その手のものに関しては自分の中である程度確固たる意見形成ができない限り参加しない主義なのですが、今回は、
  • 細かいところは良く分からんが心情的には賛成であること(特にMOC政府の反日教育が香港にまで波及するのがイヤ)
  • イギリスに住んでいるせいで香港に対する関心が高まっていたこと
  • かねてより香港人のアイデンティティーに興味があったこと(香港人?中国人?)
  • 何よりたまたまヒマだったこと
等といった理由でいいよ行ってもと返事したのです。

場所はピカデリーサーカスから徒歩10分程のところで全然賑やかな場所ではなかったし、集まっていたのは200~300人位で、まぁデモの類としては小規模といっていいと思います。

で、その後ジェリーとお茶して帰ってきたわけですが、聞いた話が結構興味深かったので以下その一部を列挙。
※以下中国人=本土の中国人。
  • 現在香港には中国人がかなり流入してきている。大金持ちは中国人の方が多い(←本当か?)。ブランドものを大量に身にまとっているが、似合ってないし趣味悪いと感じる。
  • 自分はある意味中国人だがある意味中国人じゃないと思っている。クラスメイトに韓国人がいて、彼女に「中国人はキライだ」と言われたが、自分は香港人なので正直あまり気にならなかった。
  • フラットメイトは中国人と台湾人で、その中国人が大家。
  • その大家含め、中国人とは馬が合わない事が多い(「失礼な人が多い」とのこと)。
  • 今のフラットは台湾人のコミュニティーサイトで見つけた。
  • 韓国人も嫌い(「すぐ怒るしうるさい」とのこと)。
  • 香港人は大体50%位英語が話せる(←私が10年前訪れた時の感覚値ではもう少し少ない気がした)。
  • 両親は兄ばかりにお金をかけて、自分には無関心。これは「女子はどうせ嫁にいってしまうから」という理由で、香港では一般的なこと(←本当か?)。
  • 広東語(香港の主言語)と、マンダリン(標準中国語)はかなり違う。自分の英語のレベルとマンダリンのレベルがだいたい同じくらい(※彼女の英語力はビギナーレベル。多分TOEFLで60位)。ただTVで見聞きするので聞き取りは概ね問題ない。
  • フェイスブックに食い物の写真をアップしたら「ハンストが行われてるのに何アップしてんだ」と言われた(←笑)
彼女の感情なり思想なりがどの程度香港のマジョリティーを反映しているのか不明ですが、まぁそんな香港人もいるということで。オチなし。


2012/09/05

人事まわりの人がMBAで勉強する意味について

現在忙しいのが続いていますがあと2~3日でひと段落。

レポート書きに飽きたので更新。

掲題、先に結論を書いてしまうと、(少なくとも他分野にくらべ)意味合いは薄いと思います。特に「明日からの実務」にはあまり役立たないと言ってよいかと。

なぜかと言えば、人事分野というのは非常に国ごとの独自性が強いためです。独自性を生み出しているのは主には労働法・社会保険法等の法体系で(さらには文化といった曖昧なものも含まれる)、これらは、例えば日本とアメリカでは全く異なります。

例えばアメリカの人材の流動性の高さと、日本の低さの背後にはそれぞれそうなるようにしむけている法律があり、人材流動性の高低によって人事制度が変わってくるのは必然です。採用・企業年金・考課・etc。

そうすると、MBAでHR関連のトピックとなるとやや抽象的なテーマになりがちで、たとえば

  • リーダーシップ (←私の嫌いなテーマ)
  • ラーニング&ディベロップメント
  • モチベーション

など。良くも悪くも即実務というより、正解の無い曖昧な世界といった趣。

逆に「即実務に役立つ」ケースを思いつくまま挙げてみるならばこんな感じでしょうか。

  • M&Aを多数やってる会社から派遣。在学中、財務・会計をしっかりやって、帰国後コンサルと組んで人事デューデリをやる
  • 中国の学校に行って卒論で中国の雇用慣行についてやる。その後現地のHRマネージャーに

なんだか余程機会に恵まれない限り有りえなさそうなケースばかり思い浮かびました。
もっとあるのかもしれないですし、管理部門で上位ポストを目指す場合、最終的には人事以外の事も分からないとダメなので無駄になるということはないのですが。

では、そもそもなぜ人事分野は、会計等に比べればコンバージェンスが進んでいないのか。恐らく一部企業を除き、コンバージェンスする必然性が乏しい。この辺は長くなりそうなので割愛。

逆に経理・財務等はコンバージェンスが進んでいるので、「グローバルスタンダードはこれ」という風に、実務に踏み込んだことまでやります。とりわけ欧州の学校は概ねIFRS準拠で会計を教えるようですので、実際学んだ事が役に立つと思います。
(財務会計は、ドメスティックな企業であっても外国人投資家が財務諸表を見れるようにする必要性があるため必然的にコンバージェンスが求められる。管理会計はまた別)

なお自分の場合、実はこのあたりのことは人材紹介会社にいた時から感覚的にはほぼ分かっていました。人事職の人がMBA留学して、(少なくとも短期的な、採用時の年収の観点で言えば)うまく投資回収できてる転職例をほぼ見た事がなかったので。ではなぜ留学したのかと言えば―簡潔に言えば―実益以外の部分で留学する必要性と動機があったから。個人的には、そうしたものがないと人事の人のMBA留学は失望して終わるリスクが高いんじゃないかな、と思います。