2012/02/28

ジャパンセンターと日本食

スシ及び日本食が中華やインド料理とは異なる立ち位置でワールドワイドなポジショニングを獲得していることは、これまであちこち旅行する中で良く知ってはいましたが、ロンドンで改めて日本食がいかにグローバルに広がっているかを実感しました。

ロンドンでは主に「itsu」と「wasabi」という二つの大手スシショップが有名で、街のあちこちでみかけます。前者がややアメリカナイズされたスシであるのに対して後者の方はより日本風の寿司らしい寿司とのこと。「itsu」は私も一度「サーモンとアボガドロール」のパックを買ってみましたが、居酒屋のエセ寿司みたいでなかなかおいしかった。

さて先日、銀行口座開設のためロンドンで最も煌びやかと言われている(らしい)、ピカデリーサーカスを訪れました。ヨーロッパで他に見かけたことのないほど大きなディスプレイがあってちょっと渋谷センター街の交差点風。電光掲示板と古風な建物のギャップがすごい。

で、銀行の帰りに駅に向かって歩いていると、以前から色んなひとに「ロンドンでの暮らしに何かと便利」と聞いていたジャパンセンターをたまたま発見。こんなところにあったのか。

当初、クアラルンプールにあった日本センターのような、日本人コミュニティ向けの情報センターの用な地味なところをイメージしていたのですが、実態はモダンでオシャレな小型スーパーマーケットの体。ただし日本人が欲しがるであろう品々を、食品、本、マンガ、日本の雑誌、雑貨、日本コスメ、その他なんでもござれで集めた様な、色々な意味で凄い品ぞろえ。

そして、よく見ると店の片隅に私が今の部屋の前住人から譲り受けた怪しげな日本米、「Nishiki(錦)」の姿が!こんなところに売ってたのか。


意外だったのは、客の大半は「非」日本人だったこと。特に入り口付近に簡易な日本食カフェがあるのですが、寿司を食べるLondonerで鮨詰め状態。奥の日本食材のコーナーでも多くのイギリス人が買い物をしていました。(なお私もインスタント豚骨ラーメンを購入。2食で2.8ポンド、350円ほど。物凄くおいしかった)


ところで先ほど日本食が中華料理やインド料理と異なるポジションを得ている旨書きましたが、私が思うにその最大の違いは、中華・インド料理がいずれも「庶民食堂から高級レストランまで」カバーしているのに対して、日本食レストランは絶対に中級以上の価格帯になる、という点にあります。小さなパッケージ寿司のテイクアウトなら500円位からありますが、それでも中華なら300円位で山盛りチャーハンを座って食べることが可能なので、比較にならないです。


理由は、当たり前のことですが、伝統的日本食が素材を生かす事に重点を置いていることにあるのだと思います。例えばインド料理なら多少鮮度の落ちた素材でもスパイスで誤魔化しておいしく食べられるのに対して、日本食で悪い素材を使ってしまうとちょっと食べられたものではない。


そして、日本にいると気付きにくいことですが、鮮度の高い素材(特に海鮮)が豊富に得られ、かつ保存する技術・設備や流通システムの整った地域というのは、必ずしも多くないため、普通はかなりコスト高になる模様。


そんなわけで、
①食べられるレベルの日本食を作るためには一定以上のコストがかかる
②従って海外の日本食レストランはほぼ必ず一定以上の価格帯になる
③そのため客も中所得層以上で、かつ食に拘りがあったりする人に限られる
④そのことが逆説的に日本食のブランドイメージを高める
(リッチで食に拘る人が日本食を食べている→日本食はリッチで違いの分かる人の食べ物)
といった好循環?になっているような印象。



2012/02/27

Dissertationのはなし

Dissertation(卒論、ここでは修士論文)を最終的に書かなければならないのですが。英文15,000文字。ただしこれは少ない方で、多いところだと20,000文字もあるとのこと。

卒論って、本来、「○○という分野については従来~~のような研究がなされてきた。しかし、こと××という分野については■■の観点から十分な検討がなされていない」というような先行研究のレビューを行うことで自らの論文の価値を示さないといけないようです。そういえばそうだった気がする。

でも個人的には別に唯一無二でなくても自分が興味関心のある領域についての研究ができればいいので、正直面倒くさい

でもそれがまがりなりにもマスター、経営管理学修士という仰々しい学位を得るということなんでしょう。マスターっていうとカンフーマスターとかジェダイマスターとか、達人っぽいもんな。

2012/02/16

散髪

散髪に10£20£も払うのバカらしいと思っていたのですが、ローカルの情報サイト、日本人向けの情報サイトいずれでもカットモデルを募集していたりキャンペーンでタダで切ってもらえたりというのがあるようです(free haircut等で検索すると出てくる)。

2012/02/13

授業初日雑感


初日はHRMとManagement of Information Systems。

■クラスはかなり小規模。
・リビア人 ムハンマド 同じくHRM専攻で今学期から。ボーズ頭。
・イタリア人 ダビド 2学期目。おしゃれなメガネをかけてる。
・カタール人2人 ナワーフとアブドゥラ 前者がマユゲで後者がボリューミーな髪の毛
・ガーナ人 黒人女性1人 メリー パンチが聞いてる。声がでかい。
・ガーナ人 スティーブン 良い奴そう。ガタイがいい。
・インド人 ムクタル 訛りがひどくて何言ってんのか不明。
・黒人男性 サミュエル メットライフ勤務 単発 スーツ
・黒人男性 ??
・ロシア人女性 ??

合計約10名 とりあえず日本から(物理的に)一番近い国の人でもインド人でした。この学校インドより東のアジア人全然いないです。

■授業
HRM;一応ついていけたが案の定ちょくちょく聞き取れなくなった。イギリス英語への不慣れ半分、純粋な英語力の問題半分といった感じ。先生よりむしろ生徒の話す訛りの強い英語の方が聞き取りづらい。インド人が超多弁だが一番聞き取りづらい。少し黙れってば・・
MIS:先生が早口過ぎてかなり聞き取れない。
総括 イギリス英語聞けるようにしないとダメだこれ・・

■今回は初回ということで授業が自分にとって有益かどうかは今後を見ないとわからず。それに自分次第というところも多分にあるだろうし。少なくとも英語の勉強という点ではたぶん有益。

■月曜は9-12時でHRM、15-18時でリサーチスキルなのだが、黒人女性のメリーがこの2つの授業の間の3時間が無駄なので遅くすべきなんじゃないかと主張しはじめ、休憩時間にクラスメイトに同意を募って回った。結局ほぼ全員Agreeということで休憩時間明けに先生に授業時間の変更を要求。授業時間の15分程をその問題の討論に費やすことになった(笑)。
結局、変更は認められなかったが文化の違いを感じたました。ちょっと日本の大学だと考えにくい。面白いです。

■校舎について。見た目は趣き満点ながら中はとてもきれい。図書館・自習室も環境が良いし、地下に食堂というかカフェあり。

■近くに安くてまぁまぁうまい中華料理屋がある。学生証見せるとドリンク一杯無料!

追記
1 リサーチスキルという修士論文の書き方とリサーチ手法を学ぶ講座 もっとも興味のない類の授業だが先生はエネルギッシュ、そして英語が聞き取りやすい。ほぼ分かった。
2 全体的に先生の言ってることよりクラスメイトが何言ってるのかわからない傾向があります(先生がなぜ彼らの英語を聞き取れるのか不思議なほど)。クラスの雰囲気はロンドンという土地柄+ビジネススクール+レクチャー中心のスタイルという要素の兼ね合いで若干ドライかなという印象。完璧なまでに異文化の中に一人さらされている面白さがあります。日本人としてのアイデンティティーに目覚めそうです。

2012/02/12

生活基盤を整える

10日。近くの中華兼カフェで昼飯を食べ、入学手続きのため学校に向かいました。
バスでルイシャムに出て、そこからドックランズ・ライト・レイルウェイ(DLR)でグリニッジへ。


結構おしゃれな車体で、高架を通る部分が多く景色もいいです。
所要10分少々でグリニッジに到着。ついに学校とご対面。初対面が入学手続きっていうのも我ながら結構チャレンジャーだなぁ。

<学校の遠景と近景>


無事存在していて一安心した。見た目イメージ通り。校舎はウチの学校だけで借り切っているわけではなく、他にランゲージスクールなんかも入居してるようですがまぁだいたいはウチの学校が占めている模様。

14時アポで、1時間もあれば終わるだろうと踏んでいたのですが待たされること待たされること1時間、ようやく呼ばれて手続き開始。その後もちんたらちんたらと手続きが進められて16時過ぎにようやく終了。しかもこの時点で時間割が発行されず、後でメールで送るとのこと(←月曜から学校開始なのに?)。

17時からアパートの大家さんとのアポなので再びDLRに飛び乗りオールセインツ駅に。4週間分のデポジットと4週間分の家賃を払う必要があるため、銀行で両替しようとしたところ間一髪、10分遅れでしまってしまった。

いたしかたなくという感じで大家さんにはデポジットのみで一旦契約を了承してもらい、週明けに振り込みとなりました。忘れずに振り込みしましょう。

到着早々、シャワーや家具もろもろが壊れているとのことで、大家さんの修理を手伝うことに。特に用事もないので家具をボンドでなおしたり近所のニュースエージェント(コンビニ)に絶縁テープを買いにいったり、etc.

大家さん曰く、
イギリスでの生活では基本大家は何もしてくれないもんなんだ、日本が特殊なくらいで、ウチは日本人の住人も多いしなるべく日本のやりかたに寄り添ってはいるけど、これから海外で暮らしていくことを学ぶんなら最低限のことは自分でできるようになるべき、自分もエンジニアでもなんでもないけどシャワーが壊れれば電気の配線を調べたりヒューズをなおしたり位はする、なぜなら基本大家は何もしてくれないし、催促して対処してくれるのを待っていたらあっという間に数日たってしまう、その上エンジニアを呼んだ分の請求は自分にくるからだ、イギリス人はDIYが好きだなんだといわれるがそれはそういう事情があってしょうがなくやっている部分が大きい、キミも男子ならヒューズの修理方法くらい覚えておいたほうがいい、うんぬんかんぬん。
計1時間くらい心構えを伺いましたよ。げっぷ。

その後前職の先輩が帰ってきて一緒に中華を食べて帰りました。帰りが遅くなり、ホームステイ先の門限も不明だったため最寄の駅からタクシーに。イギリス名物黒タクシーデビュー。ぼったくられる不安もなく快適でした。

11日。荷物の3分の1くらいをアパートに移したのち、携帯を購入すべく、アパートのあるオールセインツからカナリー・ウォーフ駅に歩いて移動。

このへんはドックランズ・ライト・レールウェイの中心地域です。ドックランド(Dockland=波止場地域)という名称からも分かる通り、もともとこのドックランズの地域は造船ドックが大量にあった地域とのこと。駅名も"Wharf ウォーフ "とか"Quay キー" (いずれも埠頭・波止場の意) という地名が多い。
今は再開発されて金融系大企業の巨大ビルやショッピングセンターが林立しており雰囲気はみなとみらいとかに近いです。

なお夜になると私の入居するアパートからはこのビル郡が窓の奥に輝いていて非常に良いかんじな模様。

<見えづらいですが巨大なKPMGのビル>


<スケートリンクがあったりします>




携帯はCarphone Warehouseというプロバイダー縛りなしで安い携帯を売ってる大手チェーンで購入。サムソンの機種で本体が5.9ポンド、約700円。月額使用量が基本10ポンド(≒1250円)で、足りなくなればチャージするプリペイド式。プロバイダーはCDとか航空で有名なVirgin、ただし携帯電話会社としてはかなりマイナーのよう。最大手はボーダフォンです。
購入→SIMカードと電池をセット→電源オンで即使えました。楽だ。

この週末はDLRがメンテナンスのため動いていなく、全てバスでの移動を余儀なくされました。面倒くさい。

ロンドンの地下鉄・鉄道はそんな感じでちょくちょく動かなくなるそうで、その場合は代替バスにただ乗りできます。

で、はじめてイギリス名物「ダブルデッカー」こと2階建てバスに乗り込みました。やっぱり窓からの景色が高いです。


そんなこんなで一日が過ぎ去りました。

<たどりついた我がホームステイ先、Byron Closeの廊下。実物は写真より大分怪しい雰囲気に満ちている>

 

疲れたため一眠りしたのち、ビールを飲んで終身。念願のイギリスギネスデビュー。でもアイルランド行かないと本場とは言えないか。


日本から扇子のお土産を持ってきたのを思い出してホストマザーのタボトさんに渡すと、そこに書かれた日本語の草書体がエチオピアの公用語、アムハラ語に似ているとのこと。
お父さんがアムハラ後のアルファベット表を見せてくれました。正直そんな似てない。


さてなぜこんなに詳細に書いているかというと、今日は本来もう引越ししたいのですが家の住人が朝から出掛けてしまい、宿代を払えず・出て行けずの状態だからです。昨日のうちに片付けておけばよかった。

そんなこんなで明日から学校開始。こんな詳述することもなくなるでしょう。たぶん。

2012/02/10

家のはなし


昨晩から降り始めた雪で窓の外は一面真っ白です。
エチオピア人のホストファミリーはフレンドリーでネットもWifiがつながり、部屋も暑いぐらい暖かくまた清潔で、まったく問題ないです。
ただ立地が「地下鉄圏」の外にあり、学校へはバスで20〜30分程らしいものの基本的にどこへいくにも不便なのがネックです。
労働者階級の人々が多く住む土地のようですが特に治安の悪さは感じません。

また、当初ここには10日程いる予定でしたが予定変更、12日から前職の先輩が住むアパートでルームシェアにすることにしました。
というのも、アパート探しが思った以上に面倒なのと、重い荷物を抱えての移動が余りにしんどい(事が分かった)のでさっさと腰を落ち着けたくなったので。
今までリュックひとつで旅行してましたが当然同じ要領ではいきません。

<そのアパートの長所>
・学校から電車1本15分、超近い
・水道光熱費・住民税コミで週98ポンド(約12000円) (←これがコミでないと水道光熱費の分担でモメる)
・緊急事態があっても一応先輩がいるため安心
・オーナーが日本人でまともな人物のようなので金銭トラブルのリスクが小さい
・部屋も日当たり良好で机がある (←超重要、今のステイ先にはない)
・最低契約期間の設定なし

<短所>
・他の住人は先輩含む日本人×2、ドイツ人男性1のため日本人比率高い

色々考えましたがロンドンでのルームシェアは相互不干渉が基本とのことで、それなら日本人が多かろうが少なかろうが同じじゃんと思い決めました。
学校に通いながら他によさそうなところがあれば移ればいいし。

LA~ロンドン

8日昼、LAを出発。

グリーンランドをかすめるようなルートを通るためオーロラ見れるんじゃないかと期待していたのですが内側の席。残念。

ニュージーランド航空は機体は近代的でサービスも良かった。そして何よりファンキーな非常時解説ムービー・・

去年あたり話題になってたのを思い出した。

朝10時ころ着。悪名高いヒースローは、たしかに内部をえらい歩かされたものの施設はきれいだし、市内へのアクセスも成田よりはるかにマシでした。というか成田・・・
詳細な地図をもってなく、どうやっていけばホームステイ先にたどり着けるのか余り調べずに到着。

さしあたって地下鉄と地上線を乗り継いで比較的近いと思しき駅へ。





 近くの商店でお姉さんに道を尋ね、バスでいけそうだと判断。幸いステイ先の近くの地図はiPhoneにスクリーンショットを残しておいたのでそれを見ながら辿り着きました。

アパートの外見は私の偏見の中の労働者階級のアパートそのものでした。 ノックすると暖かく迎えてくれました。ここの家の人たちはエチオピア出身。

<中はこんな感じ>


疲れ果てて即昼寝、起きてちょっと外に出て水と食料を買ってまた即寝、朝おきたらこんなになってました。



雪がごんごんに降り積もってる・・

さて本日は10日、この後学校へ入学手続きに行き、そののちアパートの契約にいきます。

2012/02/08

海に

2月7日。午後になってサンタモニカビーチに出かけました。

ふと、13年前に「次回ここに来るときはビーチ沿いのサイクリングコースでローラーブレードをする」と決めていたのを思い出し、ショップを探しましたが平日&曇り&オフシーズンということで全く空いておらず。


しょうがないのでサンタモニカ~ベニスあたりを散歩して帰りました。ベニス近辺の街並みはやっぱりとても美しくて感動した。


↓ホストファミリーの家

 翌日、8日に出発。出発にふさわしい素晴らしい好天に恵まれました。


空港。ロンドンに向かいます。再び約10時間のフライト。


色々思います

■ロサンゼルス、ビバリーヒルズはずれのサウス・クレストロードにあるこの家にきて3日がたちます。家の基本構造は私が16歳の時に3週間ステイした時と大きくは変わりませんが、ホストマザーが何年も前に主業をフードビジネスからホームステイや留学生の斡旋業に切り替えて以来、細かい改築がなされており、1階に2部屋、ホームステイ用の部屋が増築されているようです。
今日は庭に出てみましたが相変わらず美しい庭で、雨上がりの涼しさもあいまってとてもリラックスできました。13年前は夏だったためこの庭先でバーベキューをしたのを思い出します。

■ホストマザーはそろそろ引退したがっているのですが、昨年悪質な日本人留学生エージェントとの間で面倒なトラブルがおきており、それもあってなかなかビジネスをたためないとのこと。
とはいえ、素晴らしい気候、素晴らしい家、2匹の猫、日々留学生が入れ代わり立ち代わりやってくる刺激、美味しいワイン、何もかも恵まれた毎日。しかし、ホストマザーによれば、この家での日常はこの国アメリカのいわば恵まれた部分、ラッキーな部分であり、彼女の女友達は56才にもかかわらず小さなワンルームに住み失業保険に頼ってくらしているとのこと。なんせこの州の20数%は失業しているそうです。カリフォルニアはヒスパニック系をはじめ移民の多いところなのでそれも関係あるのでしょう。"This country has many problems"
彼女は引退後は引っ越すなり、特定の季節だけ家を貸し出してその間スイスに住むなり、何かしら生活スタイルを変えたいと思っていると言っていました。生活費高いもんね。

■日本人留学生は減少傾向にあるそうです。逆に爆発的に増加しているのが中国人留学生で、また米国に来れるような中国人は上流階級中の上流、かつヘンに欧米文化の悪い部分に汚染されていないため礼儀正しくかつ面倒なトラブル(特にsexualな類のもの)が少ないという話です。
残念ながら、彼女には近年の日本人留学生の、倫理観や生活力における衰退ぶりは文字通り目に余るようで、一例として若い20歳の女の子が、〈おしりの部分にピンク色の大文字で"F**K ME"と書かれた短パン〉をはいていて仰天したエピソードを挙げてくれました(しかもこれもほんの一例とのこと)。生活力についても基本的に依存心が強く、一人では何もできない、逆にあなたの時は当時たった16歳なのに一人であちこち行って友達をつくって全く手がかからなった、でもそれは例外なのよと褒められましたがこれは残念な称賛というほかないです。

■ようやく時差ボケから解放され、気候にも慣れてきたのですが残念ながら明日にはここを発つことになります。うーんもうちょっといればよかったかな。でもあまりここに長居するとロンドンの寒さにめげてしまうかもしれない。

2012/02/06

留学へ出発~到着まで

2月3日、大慌てで区役所に行って海外転出届と年金・住民税・保険に関する手続きを済ませ、警察署に行って免許の更新を済ませ、銀行に行って各種支払いの自動引落しの申し込みを済ませ、ソフトバンクショップで携帯の解約を済ませ、家でパッキングを済ませ、といった具合でギリギリまで準備に追われました。やる事自体はだいぶ前からリストアップしていたので漏れはないとは思いますがなかなか冷や冷やします。


4日、出発当日も午前中ギリギリまでパッキングに追われました。
午前中も風邪薬のせいか夕方からずっと眠くて座ったらすぐ寝てしまい余り高揚を感じることなくゲートをくぐり、出国審査を終え、すぐに搭乗。



しばらく寝て機内食食べてまた寝て、そのあとは寝れませんでした。
なんだかんだで眠れなかったのは気持ちが昂ぶっていたのかもしれません。
飛行機の小窓に朝焼けのオレンジがさします。



10時間のフライトののち、到着したロサンゼルスはとにかく暖かいところでした。日付変更線をまたぐため出発が4日の夜で到着が4日の午前中。

ステイ先には自分以外に4人もホームステイがおり、ブラジル人医師、中国人3名、これら全て留学生、更に夕食時にはスイス人のおばさんがやってくるためアメリカ人の亭主含めとても多国籍になります。

ブラジル人とスイス人2人がしゃべりまくるのと対照的に中国人3人はあまりしゃべりませんが、どうも彼らはまだ若く(ブライアンは18とのこと)、無口というよりしゃべれないようです。ホストマザーは適宜皆に話を振っていて感心します。

私もまだまだですが、16歳の時はこのホストファミリーの言っていることの7割位が良く分からなった記憶があり、こっちも言いたいことの7割は言えなかったことを思えば大分上達した気がします。13年経ってこの程度という悲しさもなくはないですが。

みんな愉快に毎晩ワインを飲んで早寝します。非常に健康的で、人間的な生活を送っているように思えます。

到着初日、2日目と時差ボケで調子が出ず、ネコとお昼寝したりして過ごしました。

同室のブラジル人アンジェロはとても快活で、マックブックとiPhoneを操り、フェイスブックやスカイプを覗き込んではよく大笑いしています。彼は夜もTシャツ一枚で生活しています。